lynnosukeのブログ

愛なんてそこじゃなくて生きてるだけじゃ足りなくて

断薬二年一カ月

天候が悪いせいなのか昨日からの全身不随意が酷く横になっていても身体中があちこちに引っ張られ凄まじい痛みに昨日と今日は気を失っていた。首は揺れ歯はカチカチと音を立てビリビリブルブルとする視神経や眼球が痛む。全身の筋肉も不随意で痛む。相変わらず鼻の骨もバリバリと動き頭痛や胸部圧迫痛。顔面や左首のリンパ腺や左胸の乳腺に断続的に痛みが走り痛みが心臓に飛ぶと脈も飛ぶ。腹部の肉は内側に巻き込まれ苦しい。目が見えにくく時として右耳が聞こえにくい。歩行の際にも真っ直ぐに足を運べない。踏ん張って立っていれば足裏が痛く股関節までも痛む。手の指がパンパンに腫れ上がる日もある。肉の痛みもキツいが骨の痛みも凄まじい。これがパキシル断薬のつらさである。頭上から足裏までもビリビリブルブルとし強い日には全身が氷の様に冷える。音のうるささよりも眩しさも残っている。これも好転反応だと思う様にしている。周囲からは膠原病とパーキンソン症状の様な症状だね。と、言われる。本当に痛みばかりである。

断薬二年目

ようやくパキシル断薬二年目である。年末年始から強くなっている全身ビリビリブルブルとした痛みに痺れや胸の圧迫痛で吐き気も加わり三月から寝たきりである。座っているのもつらいほど全身がガッチガチに不随意をする痛み。骨がバキバキと音を立てて動く。頭痛や顔面のビリビリブルブルに左顔面が下がっていたり上がっていたりをするので吹き出物が出る。鼻腔も動いているので鼻は腫れたままである。視神経のビリビリブルブルとした痛みに視力が弱い日がある。内臓に刺さる痛みや腹部の肉が巻き込まれたりととにかく痛みが強い。七夕の夜の事、全身の不随意の凄まじい痛みに朝までのたうち回ったほどである。毎週、食材や日用品の買い物を頼みゴミ出しの為に週一ぐらいしか外に出ていない生活。未だに異常な寒気や焼ける様な全身の熱感もある。乳腺に走る痛みが心臓に向かい脈拍が飛ぶ事もある。舌の根元は下がったままなので喉は常に乾燥をし内耳にしみる痛みも変わらない。一昨日と昨日は我慢ができる痛みであったので知人のショップにて断薬二年目の記念にシリアルボウルを買ってきた。帰宅後にはさらに痛みが強くなる。本当は腕時計が欲しかったのだが三月の誕生日にも買えずこの度もリサーチ不足で買えなかった。お金も無いですしね。あと何年、痛みが続くのか。

断薬一年十一ヶ月

全身の不随意にビリビリブルブルとした痛み冷感や焼ける様な痺れ、胸部と腹部に圧迫痛が強く吐き気や嘔吐もした。視神経のビリビリに視力は低下したままで首のジストニアで右耳の聞こえが悪くなった日もある。骨の痛みや肉が千切れそうに巻き込む痛みも変わらない。むしろ酷くなっている。舌も下がったままなので喉は乾燥をする。三叉神経の関係か口内に痛みがある日は噛むと痛みが発生するのでゆっくりと噛み飲み込みにくい、飲み込んだところで胸やけや胃もたれをする。先日は長年、出している資源ごみの日が第二だったか第三だったのかが全く思い出せなくなった。鼻も動いたままなので腫れや毛穴が開く。指は硬直をしたり腫れ上がったりもある。ガッチガッチにありとあらゆる方向に全身が不随意をしているので座っているのもつらく寝たきりのままである。半身浴をする際に不随意の大きさでお湯に波ができるほどで水圧に耐えているが吐き気が酷くなり毎日は入浴はできずシャワーを浴びている。痛みで気を失えない時の痛みに流石に涙が溢れ出した。マッサージを受けたらどんだけ楽になるであろうと思うが一過性ですぐに筋肉が張り付くらしい。どこにも行けずただ横になり時間が過ぎるのを待っている。酷い時には歯がガタガタと音を立て動き首が揺れ出す。パキシル断薬の離脱症状はいつまでも続く。それでも無理やり食事の支度や洗濯、お布団を干したりしている。

シンボリック

光が差すグラスの中でゆっくりと泳ぐ三匹の朱い金魚を見ていた。グラスの中では狭いでしょう。わたしはグラスを人差し指で押し倒した。水と一緒に放たれたテーブルの上に広がった小さな水面で朱い金魚は二度、跳ねた。鰓呼吸をしている金魚を見つめ水が無いと生きてゆけないのにそれでも狭いグラスの中から解放してあげた。ゆらゆらと水の中と同じ様に部屋の中を泳ぎだした三匹の金魚。とても優雅に。あぁ、美しい。わたしは知覚できる朱い金魚を眺めていた。すると一匹の金魚がわたしの頭上を腹這いになってゆっくりと泳いで行った。口元に目をやると幾つもの牙を剥いていた。異様な恐怖感に心拍数は上がり慌てて目を覚ます。夢だった。近頃よく見る金魚の夢。三匹の中での一匹が自分自身の劣等感。腹の中に溜まった空虚が腹這いにする。求めきれない渇いた感情に怒りは牙となる。金魚が睨みつける一瞬に動く黒目でわたしを見つめ通り過ぎ今度はスピードを上げ戻ってくる。白目の面積が大きくなりいけない罪悪視がのしかかる。二匹だけはしっとりと泳いでいる。それはとても美しく揺れる尾鰭を目で追いかける。水の無い部屋でわたしだけが醜くなり形相を変える。見開いた目で暗闇を見つめる。小さな薄い唇で呼吸をする。見えないバブルリングの閉塞音だけが聞こえる。

断薬一年十ヶ月

年末年始から酷くなる痛みに3月からは殆ど寝たきりである。不随意の強さで10分と座っていられない。横を歩かれるだけの振動ですら痛い。腹部の筋肉は肋骨の中に巻き込まれ動けなくなる。内臓が絞られる痛みと頭の上から足の裏までビリビリブルブルとした痛みが深くなっている。そして全身の痺れが出てきているので立っているのもつらい。不随意をする全身で椅子に座り調理をしているが腕の動きが強く包丁を扱うのが大変なのである。左手で食材を押さえている猫の手にした指に包丁が当たるのである。そうなると食事を口に運ぶのも大変。これは以前にも経験しており無理矢理と掴んでいる箸を握ったまま指は突っ張ってしまう。顔面や眼球、鼻も不随意をしている。9日の日にはずっと歯まで勝手にガタガタと音を立て全身を痙攣させていた。脳は締め付けられうごめくので常に頭がボーッとし首筋のジストニアが毎日起こるようになったので吐き気も出る。背骨や全身の骨は音を立て軋み強い力で筋肉が色々な方向に動く。これでまた手足は痩せ2㎏体重が落ちた。左目の視力は弱り両目は眼球が動き痛む。毎晩、多い時で3本は観ていた映画は光の眩しさや視神経のビリビリブルブルから観ていられないので1年以上は観ていない。不随意をする腕で本は持てず指は突っ張ってしまう。目を閉じただ痛みに耐え時間が過ぎるのを待っている。コールドターキーも未だにあるので半身浴を週に2回ほどしている。これはこれでつらい。座りながら入浴をしていると身体の不随意でお湯に波が起きる。この波と水圧に耐えるのがつらい。掴まってもいられない。横になって入ってみるとそのまま全身が硬直をし起き上がれなくなり浴槽のお湯は冷えていった。1人での入浴は危険だと言われた。もうひとつ半身浴をしている理由がある。パーキンソン症状の方はしばしば脂性に悩む。酷くはないのだが常に動き腫れたままの鼻の毛穴が開くのである。腹部の筋肉が巻き込まれるので当然、呼吸は浅くなるが休憩をしながら一時間か二時間はお風呂場にいる。かなり体力を消耗した後の水のシャワーは気持ち良くその日だけは高い化粧品を使うのが今の贅沢である。10日の日、昨年ぐらいの我慢ができる痛みと左目が見えていたので片道20分の運転をし久しぶりにスーパーへ出かけた。普段ごみ出しにしか外に出ていないのでとても楽しかったがやはり見えづらいのと歩行障害が残っているので歩く股関節は痛かった。右膝を14年前に手術をしてから長時間アクセルを踏む動作や正座ができない。椅子に座っていても膝の裏に鈍痛が走る。膝の皿の下の膜が無いのでグラグラとしている膝を床に接地する痛み。歩く痛みをかばう左股関節の痛みに耐えてきたわけである。帰宅途中に全身の痛みは強くなり左首筋はジストニアが起きていた。3月末ぶりに兄さんの会社に行き案の定、夜には寝込んだ。この減断薬期間、立っているのも座っているのも本来はつらかったがさらにキツい状態である。相当キツいはずだと経験者にも言われるが鼻腔が開き口内が乾いていても声は元気だと言われる。長い期間を想定し離脱症状や後遺症に新たな疾患も受け入れるしかない。急激な減断薬をしたのはクリニック代と薬代がかかるからである。8年以上も毎月5000円はかかっていたほど薬価が高い。7年前にパートは辞めた。毎月がマイナスなのに加えて疲弊が尋常ではなかった。勤務をしている意味が全く無かったのである。断薬から始めたサウナ通いを止め新聞購読も止めたので世の中で何が起きているのかあまり知らない。自分の身体の塩素イオンタンパク質とアセチルコリンの増強について学べば良いのだと思っている。わたくしは痛みには強い方だと言っているがどれだけ痛みに強いのかと言えば18か19歳の時に自ら肩にボディピアスを開けている。14ホール。ニードルという太い注射針で。空洞化された太い針の中には肉が詰め込まれる。貫通をした穴にバーベルというピアスを射れる。その貫通をする時間の痛みをも上回る中をパキシル飲み始めからある副作用の左腕の痛みを10年も耐えている。どこか本気で生きているのは母が48歳で脳溢血と死斑で人生を終わらせたからである。わたくしはまた腕の皮下出血が起きているがそれでもいい。見えない聞こえない世界を泳いだから。そこには愛した記憶がある。愛された記憶は無いけれど。また10年ぐらい制約をされた生活を超えればどこかに行けると思っているがパニック再発と告げられたのは来年である。その分、昨年みんなと会えたのでそれだけでいい。本当に楽しかった。

翼の行方

夕方、隣に住むはとこのお姉ちゃんが慌てて玄関のドアを開け入って来た。庭の木の下に何だか分からない鳥の雛が落ちている。たまたまいた祖父に、おじちゃん見に来てと。祖父と庭の木の下を見た。赤びっきの皮膚が丸出しな鳥がいた。祖父はゆっくりと手の中に収め温めた。木の上を見上げると鳥の巣があった。孵化をしたばかりの鳥は何らかの理由で地上へ落ちた。祖父は近くの鳥獣店に行き擂り餌を買った。灰色の擂り餌を練り細いストローの先端を斜めに切った。その擂り餌をストローの先に乗せ赤びっきの口へと入れると冷たい体で勢いよく吸い始めた。羽根が無いと求める事しか出来ない鳥は必死に求めていた。羽毛が生えた頃には嘴の端が黄色くなっていた。それでも飛び方を知らない鳥はいつまでも餌を求めていた。擂り餌から千切った食パンに蜂蜜を浸した食事を採る頃には立派な羽根を纏っていた。雨の日の土曜日、温室から鳥は羽ばたいて行ってしまった。雨の中、何度も名前を呼んだ。雨に濡れながら見上げる空。一緒にいた成長の記憶が走馬灯の様に駆け巡り脳内を羽ばたいた。籠の中よりも自然を選んだ赤びっきであった鳥。茶の間に戻り濡れた身体で小さな温もりがいない喪失感を知った。温室のガラスに降りしきる雨の流れと音を聴いていた。温室の前に置かれたバードテーブルに目をやると小さな体の雨覆いで雨を弾きながらこちらを見ている鳥がいた。ずっとこちらを見ていた。外に出て行き大雨の下で何度も何度も名前を呼んだが飛び立って行った。数日後、バードテーブルに戻って来た鳥は温室に一度だけ入り毎日バードテーブルの上で餌を食べていた。ガラス越しに見る君と私。毎日、林檎と好きな餌をあげる時間になるとどこからともなく飛び下りてくる鳥。他の鳥に混ざり変わらない啄み方で懸命に生きる小さな命。せつない鳴き声をあげて空へと羽ばたいた鳥は地上にゆっくりと光る肩羽を落とした。翼が無い私は木の下に立っていた。羽根が生えるのを待ちながら。