lynnosukeのブログ

愛なんてそこじゃなくて生きてるだけじゃ足りなくて

冷たい朝

わたくしは目を覚ます。薄暗い部屋の中で焦点を合わせる。毎日、毎日、全身の痛みに疲れきり起き上がる身体の重み。交感神経が目を覚ます。広がる全身の痛み。今日もか…眼球が裏返る痛み。光を見すぎた。目を閉じそっと瞼に指を当てる。左目が盛り上がっていた。下手に斜視になるのであれば失ってもいい、利き眼。片目で聴くブルーノ マーズ。左目が見えないわたくしは思考をする為に右脳の随液を傾ける。記憶の引き出しを辿る時、右手の人差し指を唇の横に当てる癖。麻痺をした左側。片目の冷えきる屍。ガウンにくるまり自分を温める。人は居なくなっても物はいつも一緒に居てくれる。

真夏に見た孔雀が優美に羽根を広げる。好きなフラミンゴの群れを見た時、眼が悪いわたくしは目を塞がれた。
暑い日だった。塞がれた瞼に重なる母親の掌。蒸れた日には戻れない。

奴らの幻想

人に言われて弱る時
自分がブレているか
相手が間違っている時
凜乃介
一昨年の今時期、知り合った友人から教えてもらった言葉がある。
理由もなく会えるのが友達で
理由がないと会わないのが知り合いで
理由を作って会いたくなる人が好きな人
人同士は敬うべきだと思う。反感というのは支配欲でありその支配欲というのはつまりは自己の支配が制御できていないから自己の価値が危うくなる。そこで威力や中傷が行われる。あまねくば表面的にはとても浅はかな行為であり他者が洗練されてゆくと最早、反対物と捉えてしまう。利己主義というか。ならばその対象者を追いかけ超えてやろうと思うのが生きる本能なのではないのか?二律背反なのか?いや、違う。対象者を人質にしているだけである。嫉妬心という名の僻み。醜いね。周囲が離れてゆくのではなくあなたが超えて行った結果だから大丈夫。日々の進化体系への嫉妬心。自己の価値を尺度で敵対する利己主義は悪ふざけ。所謂、出来もせずの装飾をされた世界への憧れだけで。馬鹿だな、孤独は有意義なのである。何かを果たす役割の下、生きているのだから。

日常

久しぶりに出掛けた。当初は車で20分の行きつけのショップにブラウスのヴィンテージボタンを買いに行く予定で。オーナーの車はあるのに外出中であった。うん、しょうがない。ほとんど寝たきりなので毎週、日曜日に王子さんに買い物を頼むのだが頼めなかったしスーパーに行くか。全身の痛みと不随意が強くなってきましたのでさっさと買い物をし帰宅。早く帰りたいもんだから買い忘れをしばしばね。わたくしの日常行動は13時か14時から出掛け16時には帰宅をし夕食の下準備を20分。調理開始が17時40分、食事が18時からと決まっており、不随意が強いと包丁の扱いに倍の時間がかかったりするので夕方には帰ってきたい。これが今時期となると王子さんの次の日のお弁当の支度が無い、サッカーでいない。となると17時までに帰宅可能になる。暗くなると目が見えにくいので日が長いいい季節なのだが如何せん不随意の痛みが強く常に横になっている状態である。動ける日に15時30分頃、市内で目撃された時にはこんな時間からどこに行くんだろ?と、周囲から心配をされる。小学生ですらまだ遊びに出掛けている時間である。過保護か。伝書鳩みたいなわたくしでも羽を伸ばしたいのですよ。逆のパターンもある。市内の11時オープンの行きつけのショップにお昼に行くと、今日は早いですね!と、なかなかのリアクションで驚かれる。一昨年はもう一軒の行きつけのショップに火曜日と金曜日に通っていたのたが常連さんが凜ちゃん来る?はい、昨日、来てますよ。店員さんが火曜日と金曜日に来る事を言わず常連さんがもしかすると頻繁に来ているのではないか?と、察し水曜日に来てみたり土曜日に来たり月曜日に来ていたりしていたそうだ。そのショップのオーナーは土日勤務なので常連さんがオーナーに凜ちゃん来る?凜ちゃんねぇ、月曜日と水曜日だね、しかも早い時間に。はい、オーナーの間違い。後日談でみんな騙されたと笑っておりました。日曜日なんかに友人の車があり寄ると、あら、珍しい!なんて喜んでくれましてね。地域柄、農業関連の友人が多く今時期はなかなか会えないので。この三軒の行きつけのショップに行けば一軒につきオーナーと二人で二時間半はお話をしているので逆算をして行動をする。何せ市内まで行くと往復二時間である。昨年、痛みが我慢できる時にこの三軒のオーナー、プラス支店を一軒、シューズショップのオーナーに王子さんを連れて行き紹介をした。リーガルシューズにはまだ連れて行けていない。自分がいつどうなるか分からないのでわたくしがいなくても王子さん一人でショップに行きやすいようにしたのだ。今週は木曜と金曜日と日曜日がサッカーでいないのでヴィンテージショップにボタンを買いに行き別の日に市内のショップに行きたい。市内のオーナーが、ボタンぐらい、しゃあねぇなぁって僕がボタンぐらい縫ってあげますよ。と、言ってくれているので行きたいがこのビリビリブルブルの凄まじさに行けないと思っている。最近、眼の痛みと脳の蠢く痛みの中ブログに文章を書き出したがまるで言葉が出ない。筆圧が戻らない。先生(初恋相手の同級生)に、君は攻撃的な文章を書かなくなった。と、言われているが断薬による記憶障害である。文章は脚色をしてあるが総て現実の話である。妄想や空想力が無く見てきたものを書くだけなのだが。今更、読んだ断薬サポートの本によれば道順を熟考しないと思い出せない。まさしくそうで方向音痴もいいところであるが道の記憶が無いなりに上書きをしてきた。しかしながら凜ちゃんの記憶力は凄いですよ、何気ない言葉や日時を覚えている。道のりを覚えたら言葉を忘れるかもよ?と、笑って答えた。なんか、みんな優しいんだよね、痛いも痒いも言わないわたくしが痛がっているので。今日が一番、つらい日だと思ってきた、もうすぐ断薬から三年になる。左骨盤は床擦れている。左肋骨は腕が当たるだけでも痛い。昨年、八月と九月には動けるうちにとアパレルの勉強と打ち合わせに跳ねる車高が低い車で走り回った結果、尾てい骨を擦りむいた。それだけ痩せてきている。尊厳死という言葉を中学生の時に知ってからの根性。生緩い人間には分からない。店舗を持ち経営をするというのは。お店を持てない状態のわたくしではあるが必ず実りある人生にはなるので自分をしっかり持って生きて欲しい。諦めたら終わりだ。死んだら終わりだ。

旧世界

激しい雨の下、傘を持たないわたくしは踏み締める植物の連鎖の上を一人きりで歩いていた。何処に行く当ても無く雨粒の数程の涙を流し目の前は遮になった。濡れたメープル楓の道に突然、雷鳴が墜ちた。膝から崩れ灰色の雨粒は黒い雨に変わる。朽ち果てる前触れに汚れ落ちた楓を握り締める事は無かった。
目の前が暗転をする。モノクロームの異郷に見覚えのあるドレスシューズが出現する。ゆっくりと見上げると蝙蝠傘を差した逆光の男が立っていた。激しい雨音の中で蝙蝠傘が音を遮った。男はしゃがみ込みわたくしに目線を合わせた。暗い視界に水晶体が順応をした。この視線、その瞬間に雨が流す泥の臭いが消えた。男の懐かしい匂い。雨が止み男は蝙蝠傘を下ろした。夕陽が昇る。夕陽を見せてくれた想い出が蘇る。
男は微笑んだ。
頭上から花雫が落ちてくる。幾重にも落ちてくる雫は花の香をビートに乗せわたくしの頭上に届けた。

迎えに来ましたよ。

男とわたくしは遥か前から死んでいた。

形而上学

荒れない海は無い。抱える一つや二つは臆する事も無く君は乗り込んで行った。揺るぎない信念で立ち上がり立ち向かい。光の方向が下手に行き止まった。俺の心を翻弄するのは何か?等身大の季節の最先端。どこまでも続く感情は何か?まだ見ぬ世界の向こう側へ。訳など無いのかもしれない果てしなく逆の物を望んで来た。継続は力だと。より多くが知られていない物を分解をし逆の物を望み還元をしようとする本能。振り返り還元を失った朝、説明の認識すら棄てた。自分より他者が知っている希望が響き渡り無力さに感情を失った。誰にでもある弱さ、逆らい続ける朝を迎える強さ。宗教上、道徳上の好都合な心理を共有をし耐久力の強度を求められる。風の匂い高い空、何かを探す日々に手繰り寄せ、此処からだ、今からだ。吸い込む空気をも吸えず反射をする光も見えない怒りが込み上げてくる。犯した過ち。手を伸ばしても掴めない。迷い、さ迷い。自分らしさの公算が最小の信頼にも値しない。道徳性の反対を、愛すべき信用力が出来る者と支払い者と借り手を望む。遂げられない感情は別の世界を創り出す事に向かう復讐心。認識という虚構。人格と意志をする存在を信じきたが故に原因と結果の信仰が根本信仰となってしまった。反芻が出来ない同化をされた位置付けに古くより同化の表示が真理となる。逆らわず従い。

プレザンス

額縁織りの正装服。わたくしはお互いを片目で見渡す。隙間無く織り込まれたサージを身に纏い聾唖な住人に片目で煽る。注がれた不透明な個体が入り混じる飲み物を片眉を上げ飲み干す。歯車は止まる事を知らない。空想の世界から高層の屋上に居た。タイルの目地を凝視してみる。風が吹いている。支えの無い屋上。その先は見えない。空を見上げる。霞み濁る視界。子どもの頃にも確かに見上げた。わたくしは真横から堕ち咄嗟に自らの背中を叩き付けた。跳ね返ったスローモーションに後頭部の瞬間は少しだけの幸せを思い出し涙を流した。

母の日

十六年前の母の日はわたくしの母の四十九日であった。我が子の誕生日に亡くなり六七日はこどもの日であった。絶対に忘れられない様に逝った母親。アルコール依存から鬱病アルコール中毒躁鬱病へと成り上がった。両親は離婚をしわたくしは父に付いて来た。後に父は事故で半身不随になる。一人っ子の辛さは両親を均衡化しようと取り持つ。若かった母親はわたくしが父と居る事に嫉妬をし寄り付かせなかった。アルコール中毒者は刃物沙汰が多く何度も母親の血液を見て来た。道標の様に点々と滴る赤い血液の跡を辿るとベッドと壁の間から血塗れで引き上げられた母親。錦岡の檻の中の精神病棟に連れて行かれた後に血だらけの浴槽を子どもながらに洗った。その母親がわたくしの誕生日の夜にベッドの中で脳溢血を起こした。朝には冷たくなっていたそうだ。急いで帰ったわたくしは母親の部屋のごみ箱を真っ先に見た。多めに服薬をした薬の袋が捨ててあった。側に居れば止められたのに。わたくしの誕生日で着信があり気がついた時間が遅かったので掛け直さなかった後悔が何年間も付き纏った。数日前まで母親と一緒に居たからである。毎年、淋しさが押し寄せ呑んではいけないのに酔っ払った母親の、お誕生日おめでとう。の声を聞けなかった。四十九日の日わたくしは苫小牧に帰った。ダイエーで沢山のカーネーションとカスミと母親が好きだったユリの花束を作ってもらった。店員はラッピングをしリボンの色はどうなさいますか?と、言った。仏前にあげるカーネーション。正直ラッピングやリボン等はどうでも良かった。
土日に七日参りが当たる仏様は良い人なのですよ。休日なら沢山の方が来れますからね。お寺さんはそう言った。娘さんも生き物を扱うご職業なのでお休みは取れないでしょう。日曜日だけですものね、休めるのは。喪に服す為に着ていた黒のジャケット、今では色褪せた。それがわたくしの母の日。