lynnosukeのブログ

愛なんてそこじゃなくて生きてるだけじゃ足りなくて

30日間のサプリメントを始めた

年末年始からとにもかくにも凄まじい痛みが全身を襲う。痛みで気を失えれば楽なのだがその痛みの先ですら気を失えず堪えている。それが先日、長い時間、気を失っていた。気がつくと5時間も経っていた。痛みに疲れて眠っていたのかは分からない、気絶なのだから。1月27日から風邪で寝込み咳き込んでいたせいか29日の日、軽パニック発作を起こした。熱で汗だく発作で汗だく付随意で脂汗と実に嫌な日であった。2016年7月30日に1人で外食をした際の発作以来である。風邪が抜けたのは2月11日である。熱に至っては10間もあり異常に全身が氷の様に冷たくなる日もありこのまま自分は冷凍保存をされるのかと思ったほどである。と、同時に何の需要もないと思いながらお布団に潜り込んだのを覚えている。2015年5月9日 10mgから5mgに減薬、この日からすがる思いで様々なサプリメントを服用するも効果はなかった。7月12日断薬、とてつもない離脱症状であった。心臓残遺症状が半年間も強くあり救心を服用していた。この心臓の症状は脳の誤作動なので心臓に作用をする薬を服用しても改善はされないが少しでも心臓に良いのならと飲む日が続いた。コールドターキーを予測し夏に減断薬を始めたのだが夏は夏でパニック持ちは暑さで息ができなくなる。のぼせてしまうのだ。断薬31日目の8月11日、この日が凄まじい日であった。初めてサイコカリュウコツボレイトウなる漢方薬を飲んでみたがさらに吐き気が強まり止めた。自分の中で漢方薬というのは長期的に服用をし徐々に効いてくる、イコール肝臓に溜まる。これが嫌だというのがあった。サプリメントに関してはなるべくなら食物から摂取をしたい、何故ならばサプリメントは高価である、そして個人差がある。この時も特に目立って症状が改善されなかったので止めた。9月から往復20分程度の運転から徐々に徐々に距離を伸ばし車を代えると息苦しくなる中、2015年10月30日、9年ぶりに片道1時間の市内まで走った。motor aceのcarry onを聴きながら、止まるな(停まるな)続けろ。と、自分に言い聞かせ。pieces american shoesが流れた頃には嬉しさと悔しさから涙ぐんでいたものだ。この頃から息苦しくもある中サウナに通い温泉に入っていた。あの時の心臓への負担たるや荒療法も甚だしかった。寒気が酷かったが節約の為に2月にサウナ通いも止めた。長期戦だというのは覚悟をしているのとどこかこう諦めにも似た感情がある。8年半もパニック症で制約をされた生活をしていたのだから。その辺りは達観をしているせいか落ち込むというのがまだないのが救いなのかもしれない。総てにおいては自己責任なのだから。2015年12月末から2月下旬までノートにどこかに出かけたメモが全くないのでこの時期は具合が悪くなるのかもしれない。それでも見た目は元気である、見た目はね。サプリメントに頼るほどであるから相当キツいのだが少しだけでも良くなればと弱っているのかもしれない。わたくしは楽になってはいけないのだが。キツいんすよ。笑。過去のブログ記事ではあえて薬名を書いてはいない。非公開の離脱サポートグループへは当たり前だが伏せずに公開をしている。薬名で検索をし辿り着き絶望を防ぐ為であったがわたくしはこれから薬名を書いてゆく事とする。そうすれば日本で販売中止になるかもしれないからである。ベンゾジアゼピン レキソタン 抗コリン作用 ガスモチン 頓服 ユーパン SSRI パキシル。その他、飲み合わせから脳に作用をする薬ばかりを処方されてきた。極力飲まない様にしていたが。わたくしはこのパキシルの断薬でいわゆるパーキンソン症状に似た症状で酷い事になっている。全身にかけたサポーター代、脂性にかけたシャンプーや化粧品代、洗っても取れない体臭の洋服代、サプリメントや救心等の心臓への薬代、サウナ代、広場恐怖症のリハビリと称したガソリン代、舌の根元が下がったままの飲料水代、喉の渇きにベイプ代、ヒーターパッド代。パニック症だと分からずに処方をされたリーゼ。薬価が高いパキシルに落とした8年間に断薬1年7ヵ月、この間に買った車は5台。ちなみに躁鬱状態にある買い物依存症ではない。アメブロ当時の読者の方は知っていると思いますが預貯金で生活をする事7年目。30日分のサプリメント代が2500円。働き過ぎと介護疲れでパニックを発症をしたわけですからこの度のサプリメント代は不明確ではあるが物は試しでね。長く書いたから眼も指も痛いわ。笑。