lynnosukeのブログ

愛なんてそこじゃなくて生きてるだけじゃ足りなくて

パキシル断薬一年八ヶ月

もう後戻りはできない。アシュトンマニュアルの様に薬の離脱に減薬ペースをゆっくりとするか他の薬で置換をしなかった代償でもあるがわたくしは七年間預貯金で生活をしているので無理な減断薬を選択した。それ以前はパートで失業手当が出ない範囲内で雇用をされていたので日々の生活はマイナスで食費も切り詰め燃料費節約の為に徒歩であったのとパキシルの副作用の吐き気で五十キロあった体重は四十キロをきった。薬価自体も高価な為でもあった。先日友人がランチに誘ってくれたがこれまた節約の為に五年前に一日一食、夕食だけの生活に切り替えた。優しい友人は夜ご飯に誘ってくれたのだが夜道は目が見えにくいのと王子様のお弁当や夕食の支度があるのと最大の不安点の外食恐怖症があるのでおとなしくしていようと思っている。一年八ヶ月、全身ビリビリブルブルと千切れそうな痛みに耐えている。視神経もビリビリブルブルとし視力も落ちてきている。全身の付随意が強く常に前後左右上下と波に揺られている様な状態に転倒をしない様に集中をしないといけない。踏ん張っている足裏は一年八ヶ月前と同様に腫れてきている。足裏用のサポーターは揃えてあるが足裏のクッションでバランスを崩す事があるので我慢をしている。左肩の骨はバキバキと音を立て全身の骨に肉が巻きつく痛みに身体中がガッチガチに硬直をする。左腹部の肉が肋骨に巻き込むので前屈みになる時には注意をしている。その為、当然呼吸は浅い。一昨日は左首がジストニアを起こし神経が切れてしまうのではないかと思った。顔面、特に鼻はずっと動いているので毛穴が開き少し腫れたままである。鼻腔にツンとした感覚があり前触れもなく連続でくしゃみが出る時には腹部の圧迫感と捩れる痛みと同時に呼吸が止まる。前もって出る時には教えてよ。(性的な意味で)そして昨日、起床後に鏡を見て驚いた。左眉と左瞼がつり上がっていた。ついに顔面麻痺にでもなったのかと思ったがマッサージをしているうちに元通りになった。このマッサージも指がつってしまうので本当に疲れてしまう。身体中が冷えて氷の様に冷たくなる日もありはたまた全身の熱感で更年期か?と、まだまだシナプスとレセプターは回復をしないのだと実感をしている。と、いうか回復はしないのだけれどね。寛解ぐらいで。友人にせめて痛みを和らげる薬を服薬してはどうかと言われたがまた断った。元々わたくしは多少の痛みでは騒がないが年末からの痛みは凄まじいといっても過言ではない。先日も凄まじい痛みの中、走馬灯の如く友人達の顔が浮かび思わず友人の名前を呼んだ後に泣きながら痛みに気を失っていた。目が覚めると四時間も経っており自身に何が起きていたのかと咄嗟に生きていたとジャネーの法則が頭をよぎった。と、同時にすぐさま痛みである。頻繁に気を失える時には長くても二十分程度だったのだが体力が落ちているのかもしれない。舌の奥も下がったままなので常に喉や口内が渇く。唾液は多い方であったのにつらいところである。昨年の自身の誕生日の映像でもすんごい身体が痛い。と、言っていた。一年八ヶ月の忍耐。八年半のパニック症。気力と体力でこれからもやり過ごしてゆければ良いのだが付随意とシャンビリのビリビリブルブルの痛みは壮絶すぎる。いつまで友人達に元気を与えられるか不安になる時もありしっかりとしないと。と、思いながら一番しっかりとしていない今日この頃。投げる匙も自分の匙加減という曖昧さ。パニック発作の恐怖と比べれば痛みの方がいい。心も充分に痛んできたのだし。今年の楽しみは今のところアメ車フェスしかなくて眼球が痛くて付随意で細かい手作業もできなくて脚に麻痺がくる日は匍匐前進をしてうつ伏せのまま室内で果て自衛隊を尊敬し忘れてはいけない事を忘れ想い出にしたくはない事が想い出になっていて。それでも続いていて。最近十代の頃に夜の街にいた方と懐かしい話に盛り上がった。怒られても怒られても遊べるうちに遊んでおいて本当に良かったと思う。楽しかった頃の想い出と一日を笑って過ごせればと毎日思う。よく笑うと言われるわたくし。実際は痛みで笑いの沸点が低いのだ。生活は発展を繰り返し目指す、あの夜だけは。