lynnosukeのブログ

愛なんてそこじゃなくて生きてるだけじゃ足りなくて

誕生日

誕生日を迎えた。母の命日でもあるので毎年、憂鬱にもなる。今年も約三年前と同様に全身不随意の痛みで過ごした。土曜日の夜に王子さんが居なかったので日付が変わった夜を一人で。一人っ子なので一人は好きである。誕生日の夜ぐらい何かをしたく友人にあげるセメントバッグを造った。これがかなり大変な作業で強い不随意の痛みに脂汗をかきながらの裁断、目打ち、縫い。手にはびっしょりと汗をかきペーパーバッグが湿ってしまうので汗を拭きながら何時間もかかってしまった。目が見えにくいのもあって縫い直しをしたりとそんな今年の誕生日である。本日は友人からのメールとツイッターのフォロワーさんからもお祝いをしてもらい今日という日に二十代の頃に遊んでいた音信不通であった友人からLINEの友達申請が届いたりと変わらない様で進んでいるスタートを切った。寝たきりなりにも年度末なので清算が出来る事はしてきた。ただ歩きにくいので灯油代の精算には行けてはいない。今年の誕生日プレゼントはオーバーオールとネックレスであった。GUCCIのネックレスなのだが開けてびっくり玉手箱。これ持っているじゃん!えっ?待てよ?トップの石が色違い。気をつけて見なければ全く同様品である。王子さん曰わく新しい商品なんだって!手が震えて付けにくいのだが有り難く頂戴をした。十六年前の今日、母が亡くなりその際に友人関係を整理したので普段は一人でいる。以前ならお誕生日パーティーをしてもらったりとかなり賑やかで持ちきれない程のプレゼントを貰っていた。夜遊び番長が八年間の自宅で警備員であるが一昨年、出逢った方達との友人関係は自身の糧にもなった。中々、呟けなくてもツイッターのメンバーは変わらず楽しい。自称、人見知りのわたくしなのだが先日ショップのオーナーに凜さんは人なつっこいからなぁ。と、言われた。そうなのかい?唯一の友人にも君には沢山の友達が居る。俺は君ぐらいしか友達は居ない。と、言われたが一人で居るのには何かあったのだろうね。と、言われた事がある。人との関わりでパニックを発症してから価値観が変わっただけである。友人関係においてもベクトルが変わり価値基準が構築されると自ずとその場所には居られないのである。現に先日、友人から凜ちゃんは今は休憩中なんだけれど元気になったら又ヤバい奴だよ、ただじゃ終わらんわ。と、言われた。昨年の夏ふた月ほど痛みが弱かったのでお小遣い稼ぎにオリジナルシャツを販売しようかな?と、思考をしていた頃にはとっくに印刷屋さんで価格を出して貰い売値まで出していたのに寝たきりになってしまった。又、絵を描いたりレザークラフトが出来る様になったら幾らでも出資をするよ。と、具体案まであったのだが趣味の範囲内なのと人のお金で運営はしたくはない。始めるのなら自らが一から始めたい。生きるという総ては自己責任なのである。死ぬ時も一人なのだから。その途中下車の世界の中でもわたくしは恵まれていると思う。制約をされた生活の中でも皆に良くしてもらい友人は言った。君の人徳なのか君は自分で思っている様な人間ではない。住む世界が違うのだよ。いちいちお洒落だし、いちいちかっこいい。なんだ?大ファンか?と、思うぐらい何も考えていないのが現実なのだが。脳までもがビリビリブルブルとし思考が出来ないのである。出来ない事への悔しさを排除しているのである。強い不随意で皮膚が皮下出血をし床擦れもある。痩せばらえた尾てい骨は車の振動で擦りむいたりもした。それでも痛みが弱い日にはどこまでも行ってしまうのだから心配なんだよ?と、皆に言われた。直ぐに居なくなるから。
そう、人生の勝負時が来たら待った無しだ。