lynnosukeのブログ

愛なんてそこじゃなくて生きてるだけじゃ足りなくて

グレゴリオ暦

2015年10月から1人で出かけるようになった。この頃からいやその前からかもしれない、友人が病気になり俺が居なくてもひとりで生きてゆけよ。と、言った辺りからだと思う。わたくしからは連絡をしなくなったのは。今回の仲違いで数日、考えている。何故こうなったのか?価値基準を押し付けられていたのが興味もなく添付ファイルは見も聴きもしていなかった。では共通点は何か?読書、カメラぐらいである。これは他の友人達との共通点でもある。そこで例えば他の友人達から趣向を与えられたらどう感じるのか?好きな友人の趣向なら好きになる。これは趣向が似ているからである。違った趣向ならどうするか?似合うね、あのお店に行ってみたらいいよ。これは近郊だからというのもあるが。仲違いになった友人とは住まいが遠くファッションや音楽、映画の趣味はまるで違う。広がらないのである。そして2016年5月に出逢った方が現れてから友人の態度が変わってきた。それをショップのオーナーに言うと寂しさや不安なんじゃないですかね?わたくしが離れてゆくのが。確かに中学生の頃には頼っていたがもう大人であるがこの出逢った方に言われた事がある。常連さん達が急に凜ちゃん凜ちゃんって言い出したから何でかなぁ?って、僕、考えたんですよ、凜ちゃんが元気になって元気になったらどこまでも行ってしまうのが心配なんですよ。現に他の友人にも心配なんだよ?と、言われた事があったのと別の友人にハットを被せられそれで歩いていたら悪い虫がつく。と、言われた。こうなると結論は見えていて離れてゆくのが嫌だという事になる。わたくしはこの年から友人に対し本当に素っ気なくなった。そしてわたくしが頼っていたのは出逢った方である。趣向が同じで食べ物の好みや何なら顔立ちも似ていると言われた。そもそも美術系なので合うと思うと紹介をされ同じタイトルで類似した内容の文章まで書いていたのには驚いた。本人にも見事に合いましたね。と、言って頂いた。そしてわたくし達はお互いで支え合っていたように見える。とまで言われる仲であった。会いに行くのが日課で大笑いの日々であった。仲違いになった友人とはこんなにも笑い合った事はない。踏み込まれすぎていたのが素っ気なくなった理由でもあるが何故わたくしからこうなったのか?ひとつ理由がある。本人のメールにもある向精神薬を経験済みのアイツも悪い。巻き込むな。これがトリガーである。その頃にはわたくしは断薬をしており出逢った方も断薬で苦労をしていたので何でも話せた。王子さんと居るより僕と居る時間の方が多いですよね。と、笑ってくれた。それを古くからの友人には面白くなかったのは明確であろう。こっちは付き合いが長いんだ。と、書いてあった。わたくは出逢った方との密度が濃く感じていた。友人は精神薬を手離せないのでわたくし達に断薬仲間という友情がある。と、言った。そして断薬は個人の問題なので彼とは関係ない。と、何度も告げた。逆の立場で考えてみたところ友人に対し何の感情もなかった。興味の欠落である。支え合っていたのは過去の事であった。わたくしみたいな女性とは付き合えない。と、言いつつも写真を待っていたりしていたのはどういった感情なのかは異性として分からない。そして異性だからこそ喧嘩に発展した。わたくしが女性と出逢っていたらこうはならなかったはずなのである。1989年に知り合った友人、1989年に産まれた彼。星の巡り合わせでしょうか。