lynnosukeのブログ

愛なんてそこじゃなくて生きてるだけじゃ足りなくて

いつも求めていた

何故お祭りの夢を見たのか。キースヘリングの死である。わたくしは十代の時、お祭り会場でプロディジーの曲で踊る予定であった。そこで夢の中で当時のダンススクールのメンバーのゆいちゃんの名前が出てきた。現に昨年急に、覚えていますか?と連絡がきたのだ。お祭り、行きつけのショップの出店があるのだが一人でオーナー達に会いに行った暑い日の記憶。シューフィッターさんの所へレザー扱いの話しをした後もう一店舗に傘を差し行く時に傘が壊れ雨が。そして元気になったら美術館に行きたい=中学生の時、美術部の部員で美術館に行った後に七夕祭りの靡く色を見た。以前、友人が見た夢について考察をした事がある。精神状態や現状が当てはまった。夢や無意識となると根本はフロイトになるのだが物事には必ず根本要因と根本原因があるのだ。例えば洗車をしたら雨が降ると言う人間ではどうであろうか。晴れ間の時に出掛けているのである。それが夏だとしよう、次の休みの日に洗車をする。この時には気圧配置の関係、所謂季節柄、雨が降るのが決まりきっている。わたくしからすると洗車をするまでの期間、出歩いていたでしょう、晴れていて気分良く。何をしていたのか?天気が良いのに埃を被っていたり水溜まりで車は汚れていませんでしたか?これだけの話なのである。それを洗車をしたら雨が降る。ツキに支配をされているだけの人間である。ギャンブラー的な発想はとても心狭苦しく運命や宿命の話は言及はしないがツキに支配をされている人間は統計的でも何でも無い。訳の判らない数珠に頼る前にどうして自らを省みる事が出来ない。ダサい。格好良さを履き違えているのと周りの友人にも迷惑をかけていると思う。誰がイキっている奴の傍に居たい?
脳内に森昌子氏の越冬つばめが流れれば森昌子氏が引退。松田優作氏の曲を聴き傷だらけの天使が観たいのだけれど音声が聴きとりにくいからと諦め時間で過ごせばショーケンが死ぬ。素直な人は皆、早死にをする。アンルイスの歌、美人薄命の如く。
美しい、
美学を体感してきた。