lynnosukeのブログ

愛なんてそこじゃなくて生きてるだけじゃ足りなくて

飴の記憶

パニック発作には猛烈な吐き気を起こす中、薬の副作用でも吐き気が起こった。反芻する様な強烈な吐き気。現在では痛みに伴い吐き気がある。中学生の時、大型客船に乗りグアム島周辺まで行った事がある。当然、船酔い。この時グループごとにリーダーがおりそのリーダーに教えて貰ったのは吐き気止めには飴を舐めなさいと。わたくしはパニック全盛期の時にそれを思い出し常に飴を舐めていた。甘い物は苦手なのだがプラセボ効果を期待していた。脳の誤作動からくる吐き気なのであまり効かず結局、吐き気止めを処方された。その時、医師はわたくしにこう言った。吐き気を下に下に下げるお薬だからね。まるで胃腸に作用する話であったが後に脳に作用をし離脱と依存を起こすのが分かった。そして吐き気止めも効いてはいなかった。身体が出掛ける事も服薬も拒絶をしていたのだ。しかしながら服薬をしないと呼吸ができない、吐き気で深い呼吸もできない。それでも助手席のシートを倒し飴を舐め目をつぶっていた。発作が起き頓服を服薬したところで薬が効く頃には時間帯にして発作が治まる。出先で強烈な吐き気と同時に床が歪む感覚。先に車に戻り何度も涙した。レジ待ちで様子がおかしい時には王子さんから車に戻るよう言われフラフラと戻った。広場恐怖症もありエスカレーターへの一歩が怖く王子さんに手を引っ張ってもらい乗った事もあった。フルーツ味の飴を舐めていたが飴を舐めていた子どもの頃の記憶が残っていた。それはハマナス味の飴で美味しいとは言えなかったが小学生の時の夕方の記憶。中学高校生の頃にはチュッパチャプスが流行っており今から近いはずの飴の記憶よりハマナス味の記憶。パニック障害との文字を見た時のショックに幼心に傷ついた時のトラウマが、瘡蓋で閉じていただけの膿みが動いた。わたくしが減薬を始めたきっかけがある。見える障害、見えない障害という番組を観た時であった。車椅子の男性と同居をしている女性が飛行機に乗り苦痛に顔を歪めていた。別のシーンで人混みの会場の中で顔が赤くなりのぼせ始め音のうるささから耳栓をしだした。わたくしと全く同じ状態に心が痛んだ次の瞬間、女性は会場から走って出て行ったのだ。わたくしは驚きと同時にここで気が付いた。逃げてもいいんだと。今までは買い物をしないといけない、待っていないといけない、それが認知療法だと思っていたが真逆であった。それから気が楽になった。例えばレジ待ちで発作が起きればカゴを置いてでも外に出ればいいんだ。そして自分はパニック障害ですと公言をし倒れた時用のカードを持っていた。今でもパニックがある友人は長年、誰にも公表せず生活をしてきたがわたくしには告げてくれた。遠い空の下、それぞれが孤独にアスファルトへ倒れ込んでは立ち上がり待つのが苦手なわたくし達は寛解を待っている。今日ふと、昨年今頃に書いた文章を思い出した。花びらを口に含む。これはパニックの頃、飴を口に含んでいた時の記憶なのではないかと。いつも明晰夢の中で書いていたので現実味が無かったのだがそんな気がした。全ての記憶が戻る前に木曜日から服薬を始めるかもしれない。たまに文章でも書ければ良いのだが眼も頭も肉も骨も痛い。ずっと心の中で自分は楽になってはいけないと思ってきた。凜ちゃん、もう、楽になりな。それでいいのかもしれない。

ショートフィルム
http://lynnosuke.hatenablog.com/entry/2018/06/21/011214