lynnosukeのブログ

愛なんてそこじゃなくて生きてるだけじゃ足りなくて

深い悲しみの底にいる。社長が亡くなったと。社長との出会いは18歳の時だった。その頃、社長は独立前でディーラーの部長だった。わたくしは祖父母と暮らしており車を買う際、総てのローン会社の審査で弾かれた。両親が離婚しているところの子は信用出来ません。現に債務を残している方が多いです。祖父母となら祖父母は収入が無いですよね?仕事も臨時職員ですよね?車はあるのにローンが組めなかった。そこを通してくれたのが社長だった。わたくしが職員になる前提だと。社長の奥様のお父様がわたくしと同じ庁舎にいた。そんな繋がりであった。そして代車や保険会社までも手配をしてくれた。その車を別れた彼氏さんが彼女を乗せ事故に遭った。その時、社長の所にお金を支払いに行くと全額支払いが終わっていると言われディーラー内のカメラを確認するとわたくしの母が支払っていた。事故ったと別れた彼氏さんから電話があり迎えに行った。全損で搬送をして欲しいと社長に言うとディーラーのイベント中であり搬送車が無い、ちょっと待ってろ。来てくれた搬送車はバカでかい搬送車。社長の部下が来てくれた。社長が独立後、店に呼ばれお茶飲みをよくしていた。りんなぁ?ナメられたら困るから俺のBM乗れ。ただで乗らせてくれたらヤラレると思い断り続けた。社長の娘というよりはホステス、そんな関係であった。ディーラーのイベントでもVIP待遇をして頂いた。ピットに入れらないフルスモの車も入れてくれた。社長が亡くなった。後ろ盾が一枚、いなくなった。ただでさえわたくしは独り、孤独死をするのではないかと漠然とした不安がある。社長の友人に電話をした。海外にゴルフに行き具合が悪くなった、癌が脳に転移をしたが意識はあり直ぐに戻ると指でOKサインをした。海外に仕事を広げている最中で店もそのままになっている。奥さんも落ち着いてきて娘さんも立派になっていたと。わたくしの体調が悪いなりに、あいつがいなくなって淋しくなったな。と、友人は言った。あんなワイルドに生きて、それと一緒にいて。わたくしは新聞購読を止めガラホなので一切知らなかった。今でもLINEに社長の名前が上がるし友人に電話をする際、社長の名前が上がっていた。信じたくない。本当に亡くなった。と、言われた。わたくしの保証人。友人の息子さんとも話した。それでもみんなわたくしよりも先に死ぬんでしょ?耐えられない。わたくしが十代の時に父が半身不随になった。様々な方がわたくしの面倒を看てくれた。いつも大笑いで。だからこそ正気の沙汰ではいられない。後追うかな。遺されてこんな身体で生きている意味が解らない。