lynnosukeのブログ

愛なんてそこじゃなくて生きてるだけじゃ足りなくて

過干渉

他人に求める時とは自分に求めている。周囲から取り残される恐怖心から。金銭や地位、そこから不安が生まれる。互いを生かし合えていないからである。明確な条件がある場合、それを満たせば付き合い、明確な基準が無い場合、何となく付き合う。価値基準が変われば別の人へ。学生から社会人になっても友達でいられるのは生活水準が同等だからという。わたくしは周囲が驚く程に人間関係を整理する。利害損得という感情を相手が持っているというだけで利用されているだけである。こちら側に愛情ではなく同情を求めているだけである。そんな人間をいつまでも同情をしている場合ではない。美しい世の中を創るのは自分である。どんな関係でも出会いは予定調和である。嫌な気分にさせられてもそれは自分を反映させてくれる。色々な物を教えてくれる人もいる。そして別れる可能性が必ず含有される。それでも一緒に居られるのは余程、懐が大きく愛情に溢れているか単なる無関心である。互いに引き寄せ合っていた日々も確かに存在していた。自分を守る為に。最初から脆弱性があった。独り立ちできると気づいた時に離れる。助けを呼ぶ前に反応をしてくれるのが友達。助けを呼んだ時には遅いのである。出会った人間は財産である。捕らわれなければ貯蓄された思いは美しい。男性は悔しい時と嬉しい時に涙を流す。女性は悲しい時と有益の為に涙を流す。男性脳と女性脳の違い。誰しもバランスを崩すがそこに居てくれるのが友達であったり恋人。見ていられない景色をも一緒に見て涙を流してくれる。居心地が悪くなると人生の時間を短く感じ始め焦る。居心地が良い人間と居るとその場では短いが人生を長く感じる。将来性があるから。疎外感とは自らが創り出す。独りで居られない人間が誰かと居ても上手くは成立しない。友人に、りんちゃんと話していると小さい事が気にならなくなる、どうでもよくなる。と、言われた。どうでもよくなるのはあまりにもだがわたくし自身どうでもよいという感情を持ち合わせている部分がある。これはパニック症を患って達した出来ないものは出来ない。自分の設定値を上げすぎていた、頭が悪いので。取り繕った人間よりも孤独は美しい。その美しさを身に纏う。何かを求め過ぎていると人の目が気になる。緩く生きる為のマイナス作業。閉ざされた扉を開けた時、重たい鎧を落とす。人の流れをゆっくりと感じながら。