lynnosukeのブログ

愛なんてそこじゃなくて生きてるだけじゃ足りなくて

毎日晩年

ふと、わたくしは難儀な生活をしてきたと思う。まず記憶がある三歳に遡ればその頃から母親の酒量が増えていった。三歳にして酔っ払った母親に、あんまり呑んじゃ駄目だよ。と言っていたらしい。小学生になると母親の育ての親の様な存在が居た札幌に母親に連れられ家出をし両親が離婚だですったもんだをし一度は元サヤに戻るも結局は離婚をし父方の祖父母の所へ引っ越してきた。中学生になると学校でのいじめは増し自殺を考えた事もあった。高校生になるもいじめは続くが地元以外から入学をした悪い生徒とつるみバイト先で知り合った他校生と仲良くなり夜遊びをしてきた。その時に父親が事故で半身不随になりバイト代よりも高い交通費で看病に出掛け学校では寝ている日々に何もかも捨てようと家出をした。暫くして保護をされた頃には同級生の友人は退学をし教室にわたくしの机は無かった。見かねた先輩が送り迎えをしてくれていたのだが目立つから学校の手前で下ろしてと頼んでも校門前まで乗せてくれた。就職をすると毎晩のように一緒に居た人が事故死しショックから拒食ぎみになった。掛け持ちで働いていたので急に始めた重労働で子宮に水が溜まって痛みで歩けない。死ぬところでしたよ!と医者に怒られ母親は難病を発症し更に働き詰めに元々弱い左腎臓を何度か患い重労働で筋肉だけで五キロもあった体で働くも母親は亡くなり右膝の手術で暫く歩けない。歩けるようになったらば右肘の靭帯を切る。その後、祖父の介護や王子さんの父親の死に王子さんの妹の卒業進学に何やら友人知人のお世話に疲れ果て職場でパニック発作を起こし病院へ。半年間も呼吸が出来ないのに原因が解らずどんどん悪化。右膝で歩けるようになったらば今度は猛烈な吐き気で歩けないように。そうして外食恐怖症と広場恐怖症になる。来月で断薬三年目になるが心臓残遺症状や不随意の痛み瞼までも引っ張られるので片目で書いている。身体中があちこちに引っ張られるので歩くと転倒をする日がある。また歩きにくい。ヒップホップダンスを習っていた頃のメンバーから二十年ぶりに連絡がきたと思えば寝たきりの凜を見たくない。と一方的に説教をされた。わしかていいおばさんだ。痛みが弱い日には一人で出掛けるのが楽しみである。一人行動が好きなのにずっと一人では買い物にも行けなかったから。不随意が強く料理の時に粉物や細かい作業は完全にこぼす。時間がかかるがきっと良くなるのモチベーションで毎日、横になっている。たまに会う友人に、痩せたねぇと言われる。なのにいっつも笑っているから偉いわ、明るいし、偉い偉いと褒められる。これはきっと痛みで笑いの沸点が低いのか長年制約をされた生活圏にいると小さな幸せが物凄い多幸感に感じるから脳がヤバくなったのかもしれない。元々へらへらしているから区別がつかない。いや、実際は寡黙で人見知りなのだが微塵も感じられないと言われる。むしろ人なつっこいと。今ではそれだけ人に頼らないと半人前なのである。一昨年ショップで凜ちゃんはもっと人に頼るべきですよと言われたのを思い出す。強いて言うならば時間に追われ不眠不休から静かに暮らせている平和的な環境に感謝をしている。晩年は痛みも無く穏やかに暮らしたい。今まで物凄いスピードだったから。鼓動も。