lynnosukeのブログ

愛なんてそこじゃなくて生きてるだけじゃ足りなくて

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過剰な動物愛護者に疑問がある。宗教上の殺生は別としても葬祭の際には革製品を避ける。殺生を意味するから。しかしながら男性は見るからに合皮ではない革ベルトに革靴が現代である。レザー遣いは見たら分かる。わたくしの母は駒沢出身なので仏教系さらには叔母の家がお寺さんなのである。なので子どもの時からお寺に行く機会が多かった。そこで説法とお釈迦様の蓮に魅力をされたのである。タトゥーで蓮の花はデフォであるが仏教、親鸞ヒンドゥーの歴史を知らずに射れている浅はかな人間は見下したい。ピンク色を射れ愛情を安定させたいだけなのである。色彩学出身を舐められては困ります。色で精神状態が解るんだよ。わたくしは肉を剥ぎ脂を捌き動物の皮を鞣した事がある。当然、動物肉も食す。乱獲で生態系が狂うのには思うところがある。象牙闇ビジネスの様に絶滅をさせるのは人間の業である。わたくしの印鑑は産まれた時に造ってくれたオランダ水牛の物でナイフは水牛ハンドルと父の手作りの鹿角ハンドルを愛用している。わたくしの友人はレザーを扱うデザイナー達なのだが必ず叩きに遭う。動物愛護で。あまり書きたくはなかったがハラコという響きも叩きに遭う。ハラコを調べてもらえば分かる。ハンターから下がってきた肉を捌き塩漬けにし毛皮にすると生きる為に喰う。というのが分かる。人間の寒さを凌いでくれた動物。人間がもたらした環境下で餌がなくなり市街地に降りて来る。農作物を荒らされても文句は言えない。アパレルオーナーのSちゃんに話しをした事があった。Sちゃんは言った。そんな事を言ったら着ている服だったり蚕の糸で縫い合わせていますよねぇ、だったら、動物愛護という人に言えばいいんですよ。動物が困っているわぁ、腹減ってるみたいだわぁ、じゃぁ、僕の腕を食べて下さいって。その人達は動物に自分の体を差し出せるのか?って事っすよねぇ。
研究庁舎に居た頃、めん羊と家禽科に居たのだが中学生の時にお付き合いをしていた方が肉牛を淘汰するアルバイトに行っていたので食物連鎖については日々考えている。