lynnosukeのブログ

愛なんてそこじゃなくて生きてるだけじゃ足りなくて

令和2.25

本日、母さん(母方の祖母)のお誕生日であった。八十六歳になった。電話をすると元気であった。わたくしが子どもの頃、両親はお店を営んでおり父とは週に一度の定休日に顔を合わせるぐらい。母も帰宅が遅くわたくしは学校帰りに祖父母の会社で過ごし就寝前に近くの自宅に帰っていたので母さんに育てられたようなものである。母の月命日なのでお寺さんが来ていなさそうな時間帯に電話をすると数年前に亡くなった母の弟さんの命日が三月二十三日なので今は二十三日にお寺さんが来るそうだ。この三月二十三日は父方の祖母のお誕生日である。電話を切った後、拙宅のチャイムが鳴った。普段は誰も来ず居留守を使おうとしたら、こーんにちわー!遠方に住む叔父さんの声であった。月末に祖母と二人暮らしであったわたくしの実家の灯油代の支払いがあり祖母が入院中の為、実家は留守状態。祖母の入院翌日にわたくしの体調がずっと不良の為、支払いに行けないのでガソスタの所長に電話をすると拙宅に集金に来てくれると言った。その事を電話で叔父さんに言うと、月末はおばあちゃんのお見舞いに来るから今スタンドに言って俺が払いに行くって言ってくるわぁ。わたくしは公共料金の名義変更と引き落とし口座の変更手続きを行い、家の電話と後期高齢者の保険料だけは祖母名義の口座になっており信用金庫とゆうちょと分かれているので万が一の時にゆうちょだけは抜いた方が後に楽だと思うと最初に父へ電話で伝え父の奥さんへも伝えると、まさか出歩けないわたくしが祖母の入院翌日にわたくし名義の口座引き落としにしたとは思いもよらず驚いていた。更には祖母の郵便物の転送もかけていたほどである。その旨を父の家に来た際、叔父さんに伝えたらしく叔父さんが、わたくしがそう言っていたけれどもう名義変えたって!?いずれにしても年賀状が誰から来ていて誰とやり取りがあるのか俺は分からないから一度拙宅を訪ねるとなった先月。電話がありお見舞いの後に寄りたいんだけど家はどの辺になるの?兄ちゃん(わたくしの父)達に聞いたらその辺で前におばあちゃんを乗せて近くまで行ったんだけど、おばあちゃんの記憶が曖昧でその辺ぐるぐるぐるぐる回ったんだけど分からんかった。初めて拙宅を訪れた叔父さんと二人でお茶をしばくのは初めてである。書類の控えや後期高齢者の入院書類のパンフレットを手続きの際に持ち帰っていたのでファイルごと説明をし渡すと数日後、拙宅のチャイムが鳴った。ご丁寧にも十二月と一月分、引き落としの公共料金を持って来てくれたのだ。そして今日、突然訪問をした叔父さんは又、公共料金を封筒に入れ持って来てくれた。水道料金は実家に明細書が入るが電気料金の明細書は無いので電力会社に確認をしているのだと思う。先月よりは少し疲れた表情をしていたが昨年の父の手術、その後に祖母の手術、先月、会った叔父さんは久しぶりにわたくしの顔を見てほっとしたと言った。わたくしが子どもの頃、厳しく時に嫌みを言った事がある叔父さんを避けていたし叔父さんも負い目がずっとあったと思うがわたくしの方が大人なのでお誕生日プレゼントをあげた事がある。先月わたくしと喋った叔父さんは涙ぐんだ。本来一人しかいない姪っ子が可愛くて仕方がなかったのだがキャリアの軋轢や家系。母方は経営者が多く父方は高学歴者が多い。父方の祖父の弟さんにとある作家の考察について自費出版をした方がいる。その読書感想文を送ると大絶賛をしてくれた。商社駐在の云わばナイト。たまの帰国の際にわたくしの実家に親戚が集まりウイスキーや日本酒を呑みながら盛り上がりパニックがあったわたくしは欠席をしたが焼き鳥やお寿司と呑みの準備、グラスからお座布団を用意した。吐き気があり同じ道しか歩けないなりに恐怖感があったがみんなが集まれるならとキャリーケースや両手いっぱいのお買い物を詰め込み物凄く疲れたのを覚えている。父方の祖父の認知症病棟のお見舞いの後、親戚達は驚いたそうだ。テーブルに呑みの席がセッティングされており察していたのか人数分のグラスにきちんと布が掛けられ焼き鳥は温かったと。ついさっきまでわたくしが居たと。文学を語り合い父方の祖父の弟さんが言ったそうだ。
兄貴は、俺が帰って来るって言ったらここの串焼きと焼き鳥と川魚の唐揚げを用意してくれてぇ。お孫さんのわたくしにこんなにしてもらってぇ、会って文学の話しを是非、したい。と。
よっぽど懐かしかったのか嬉しかったのかわたくしが買い用意をしたチャームを祖父の弟さんが全部、食べたと祖母が言っていた。グレたなりに神経質で断薬で頑張っているのは少なからずの親戚には伝わっているとは思う。物腰が柔らかいからいじめにも遭い言い返さないから更に攻撃をされ。それでもいいと思うよ。人をいじめるというのは興味対象であり自分の弱さの露呈。簡単な話、相手に興味を持つのは結局、愛されたいんでしょ。そこには甘えが生じているが。
結局さ、人間ってパンドラの箱なんだよ。