lynnosukeのブログ

愛なんてそこじゃなくて生きてるだけじゃ足りなくて

塗り絵

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先週、全身不随意の痛みに耐えながらふと、たまに絵を描きたいな。手が震えるので描けないのだが色塗りをしたいのだと思った。ならば輪郭を描き色塗りを横臥をしながらしたら良いのでは?その輪郭を描くとしても描きたい映像も浮かばず薄暗い部屋で眼の痛みや見えにくさもある。手の震えが弱くても身体の不随意で結局は安定はしなく座っているのが苦しい。せめて塗り絵が欲しいなと思い買ってみた。握りづらい親指で色鉛筆を鉛筆削りで削った。10分以上かかった。こうなる以前はナイフで鉛筆を削るのが得意であった。これは保育園を卒園する際、全員に折り紙や折りたたみのナイフを貰い扱う練習をしてきたからである。小学生の時からもったいなく少しずつ使っている色鉛筆とクーピー。30年以上も前の物である。パッケージが気に入っては他の色鉛筆やクレヨンを買いそちらの方を消費してきた。残っているコピックを眺めながら元は点描画が出来ていたのでミリペンが欲しいなと思ったが使えないので止めた。塗り絵帳を開いて見たが花と葉の輪郭の区別が分からなかった。花を土から育てる職業に就いていたわたくしがやはり甘かった。塗り絵帳を見るまでは自分なりに考えていた。視覚的に弱い色はおぼろげに記憶をしている脳内のカラーチャートで塗れば良いのだと。今までそうしてきたのだし鮮やかな絵を描く人だと言われてきた。美術部の時は石膏と油彩画ではあったのだがオールマイティーではあった。教師が油彩専攻ではなかったので放課後に油彩教室に通っていた。手話教室にも通っていた。今年だったか王子さんに初めて言った。緑色に少し視覚が弱いと。言わなきゃ良かった。先月だったかの視力検査の際、赤色と緑色がはっきりと見え視力が良くなっていた。眼鏡使用を取り消そうと思っていた先日の連休、裏の車庫まで歩けないので助手席に乗った。印象派の如くほぼ見えなかった。色を知覚していないのを隠して絵描きをしていた頃の方が楽だと思った。視界がピンク色になる事は18歳ぐらいからあったのだが先日、視界が黄色味を帯びたのは初めての経験であり身体中が黄疸に見舞われたのかと思い怖くなった。検索をすると黄視症、白内障予備軍的と書かれていたが総ての視界は脳内の誤作動だと思っている。暗い店内で、これ何色ですか?と聞く時、見えにくくとも本当に知覚が出来ていないのを露呈する弱さ、脳内のカラーチャートのおぼろげな記憶。視覚と連動をしない動かない指。

りんちゃんといえば赤色と緑色ですね。この色を知っている数少ない人間。見知らぬ人間はわたくしといえば水色のクラックである。縫い物をする際に糸を見た時に朱色か赤色かの区別が付かなかった。

血塗れの愛の中に居たのに。