lynnosukeのブログ

愛なんてそこじゃなくて生きてるだけじゃ足りなくて

鬱伝

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久しぶりに読んだのは二回目。わたくしは鬱ではないのだが母が鬱病を患っていたのと友人達に鬱病が多い。発行は八年前なのだが当時パニック症だったわたくしには読むと気分が優れない反面、共感もあった。崇拝をする菊地成孔氏の記事があるので買ったのだ。改めて読むと当時より俯瞰で読めた。やはり弱っている時に同じ疾患の症状を目の当たりにすると同じ穴のむじなとして落ち込むのである。作品というのは時に毒であると散々、言ってきた。まともに受けると精神衛生上、良くないのである。わたくしの中で鬱病とは睡眠不足と腸内フローラが一因だと思っている節があるが運動不足が原因だとも言われている。しかしながらレスラーに鬱病神経症が多いのも事実なのである。アニマル浜口氏は海で溺れかけパニックになり陸の上でもパニックの癖が付いてしまい気合いだ!とスクワットをし乗り越えたのを知っている人は少ないと思う。そう考えれば家族で気合いだ!と言っているのを違った視点で観られると思う。笑って過ごせない時期があったのである。この度、二回目に読んでみて当事者の大変さが分かるのだがやはり暴露療法は有意義な様な気がした。これはフロイト先生から根強く続いているがその瘡蓋を開き膿みを出すのには慎重さが必要である。病院で洗いざらい吐き出した後、楽になり世の中がどうでも良くなる事もあるからである。守秘義務があるにせよ病院の見ず知らずの人間に生い立ちから現在までを話すのは苦痛でありわたくしの友人にも居るが逆に親しい友人に言いづらいと言う。プライドを保っても人に助けてもらう立場なのだから過去の栄光は喰えないから捨てろと言った。言われるまでそこに留まったままなのだから。未だに数名の友人達はパニック症である。しかしながら凜ちゃんの話しを聞いていたら凜ちゃんの方が重たかったと思う。凜ちゃんが不在着信のマークやメールのマークがあるだけで発作が起きていたとかは無いんだよね、むしろ凜ちゃんから連絡があったらかなり嬉しい。これは症状を理解しているので話しやすいのと隠したところで凜ちゃんは気が付くのだし話しをするだけで安らぐというか楽しい。わたくしの友人達は登り詰めて軋轢に身動きが出来なくなってしまったクリエイティヴ思考型が多い。それが薬の副作用や後遺症で手が震えてしまうのだが創造性は枯渇しない。もう戻れないと言った友人でも支え合い心を作品に投影する灯火があった。その渦中にわたくしが逆に頼ったのだ。ボタンが縫えないと。わたくしより震えが弱い友人はボタンを縫ってくれた。今では行きつけのショップのオーナーが、持って来てくれたらボタンぐらい幾らでも僕が縫ってあげますよ、しゃあねぇなって。一人っ子で孤独には耐えられるのだが鬱伝を読み返し病的孤独感のどん底が一番、寛解しないのだと感じた。人は支え合い生きているもので全くの孤独な人というのは自分で柵を降ろしたのではなく檻に射れられたのだと思う。語弊があるが分裂症患者さんは放っておいてくれと願うが寂しさから外界との接点を求める。世の中は残酷で弱さばかりをフォーカスし。違うんだって、悩んでいる時はいつも一人きり。これがアンサー。誰か一人でも味方がいればそれは財産であって遠慮をする必要もなく。