lynnosukeのブログ

愛なんてそこじゃなくて生きてるだけじゃ足りなくて

尊厳

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昨年、読もうと思っていたのだが気が重かった。この事件は重度障害者が殺害された。犯行に及ぶ前に「こいつは喋れるか?」と、勤務中であった職員を拘束し次々と。生産性が無い人間は社会に不必要だ、抹殺せよ。といったナチス的思考の下、実行された。事件を起こす以前、違法薬物や措置入院をしているのだが所謂、未然に防げたのではないのか?と誰しも思ったと思う。読んでいると先天性障害者に対し違和感を持っていた様でこれが後天的な障害者だったらどう思ったのだろうか。仲間も多くその友人達がもし障害者になっても社会に不必要だと言えるのだろうか。思考が浅はかなのである。この事件のドキュメンタリーを観た事がある。面会をした記者が言っていた。「まともだ…だけど浅い」わたくしの王子さんの兄弟に知的障害者が二名いる。ただただ彼等の将来を気にかけている。わたくしが通っていた小学校の横に使用されていない木造の大きくはない体育館があった。そこは昔、障害者の親御さん達が将来に悲観し子どもを道ずれに亡くなった凄惨な場所と言われていた。だからなのか永年の沁みなのか血飛沫の様な痕があったのを目の当たりにしショックを受けた。その二年後にはアル中であったわたくしの母親の血飛沫を見る事になる。この事件の被害に遭った親御さんの中には自問する方も居た。この子は幸せなのだろうかと。王子さんの職場に居た上司の御子息は知的障害を伴う盲の重複障害者なのだがやはり言った事がある。俺らが死んだら、と、考えると一緒に死ぬしかない。とまで考えた事があると。それが愛情がある親の見解なのだ。わたくしの友人の子どもさんは自閉症ダウン症である。王子さんの弟に暴言を吐かれ我慢の限界を超えたわたくしは一度だけ、出て行け!と、怒鳴り刺し殺したくなった。おまえが出て行け!と、言われ深夜、道端で悔し涙を流し道路に座り込んだ。それを知った知人は行政に任せろ。と、言った。近所に住んでいてそれは無いと思ってきている。わたくしが、王子さんが、歳を取り管理が出来なくなってからの話で先は長い。人間には生きる尊厳があるのだがそこには介護をする側、される側という弱者救済への利害関係が生じる。解っている、それこそが差別なのだ。わたくしの父は事故で25年も半身不随なのだが頸椎損傷の後、こう言った。身体が動かないから、自分で死ぬ事も出来ない。考えてみて欲しい。自身の子どもさんが何らかの障害を生まれ持った場合、突然、友人が身体障害者になった時、お付き合いをしている方のご家族に障害があったのなら。死ぬまで一生の問題。そこに向き合って生きてきた家族の命を奪ったこの事件。職員が刺され入所者も怪我を負いながら職員が入所者に、その四角いの取って、と、携帯電話を示すと命からがら入所者は携帯電話を差し出したという。

喋れるか?

意志の疎通を断絶してまで犯行を遂行しないとならない使命感とは何か。

意志の疎通とは何か。