lynnosukeのブログ

愛なんてそこじゃなくて生きてるだけじゃ足りなくて

断薬二年四カ月

脳までもビリビリブルブルとした痛みは和らぐ事はなくむしろ大きく深部まで痛みが強い。三叉神経に走る痛みで噛む事や胸部圧迫痛で飲み込むのが苦しい以前に舌の根元が未だに下がったままなので鼻からの呼吸がダイレクトに喉元に入り喉が渇く。物凄い力で全身不随意をし内臓は捩れ痩せてきている。身体のあちこちは皮膚皮下出血を起こし顔面には吹き出物が出る日もある。気になる方はパーキンソン症状、脂性で調べてみると良いのかもしれないが眼球振動で手に取って何かを見る事はつらい事です。現にこうして痛い眼で文章を書くと次の日には眼が見えにくく瞼は腫れ上がる。レザクラも絵も描けないアルバイトも出来ないわたくしはTシャツを作ろうと動けるうちにアパレルについて学びに行き業者とも打ち合わせ済みである。先月十七日、業者に発注の話し合いをしアパレルショップのオーナーに段取りを告げに行きだした時には痛みが強くなっていた。五分も居られなかった。帰り道の凄まじい不随意に両手でステアリングを握るのは危険だと思い右手だけでステアリングをがっつりと握りしめ左手は痛む胸を掴んで帰って来た。苦しかった。何度も停まろうと思った意識が朦朧としてきて。横臥をしながら軋む骨と筋肉が蠢く音を聴いている。わたくしの元気は単なる空元気であり釘を打たれる痛み。これは経験者からは聞いてはいたが凄まじい。自らボディピアスを開けていた過去があるのだが全くの比ではない。パキシルの怖さはまだまだ続く。

歩む

いつからであろう、靴が好きなのは。愛着をもったのは小学生の時にスケボーを始めその時にナイキのシューズを買ってもらってからであろうか。中学生になりバンドをしていた頃、父が今の後妻さんとなる彼女とどこかに遊びに行った帰りに買ってきてくれたのがゴリラのブーツ。当時バンドをしている同級生でもブーツを履いている人はいなかった。高校生になりまたもや父が買ってきてくれたのがドクターマーチン。これは卒業後もずっと履いていた。ローラーバックルなので歩くと音がする。友人の集まりに行くと凜が歩いてくるのが分かると言われるほどであった。高校一年生の時に父が事故で半身不随になってからは革靴は途絶え就職をしてからは今度は後妻さんがわたくしにバンズやコンバースの限定品のスリッポンをプレゼントしてくれた。二十三歳の時であったろうか。わたくしの誕生日に母が亡くなったのだがその後に膝の手術をしてから履ける靴が限られてしまった。未だに正座はあまりしていられず膝を接地すると痛く長くも歩けない。それでも断薬から二年四カ月の間に一人で出かける様になった。お洒落番長と言われてきたわたくしの復活でもある。昨年の台風被害で断水生活の中、ドレスシャツにジレ、ドレスシューズで給水に行き貴族と呼ばれた。今年は凄まじい痛みが多くほぼ寝たきりである。座っているのも横臥をしているのもつらいのである。不随意で全身があちこちに引っ張られるのでブーツを履いている方が安定をしやすいのだが疲れる様になってきた。そこで痛みが我慢できる日に行きつけのショップに行きインソールを入れた。オーナーは言った。
普通の店員ならインソールありますか?これですよ?だよ?俺はちゃぁんと凜ちゃんの健康を考えて選んでるんだよ?分かってる?
分かってるよ。笑。
スペンコを入れた。ドクターマーチンとペンドルトンのコラボシューズを履いて行ったわたくしにオーナーは、そのドクターマーチンにも入れてごらん?悪くはなかったが何足もある靴にインソールを入れたら破産をしてしまう。ましてや寝たきりである。九月に王子さんが四十二歳になった。車の整備とサッカーの行き来だけでちゃんとした靴は持っていなかったのでリーガルに行きシューフィッターさんと相談をし革靴をプレゼントした。わたくしが磨くと言ったがわたくしの生い立ちに共鳴してくれたフィッターさんは私が一生メンテナンスをします。と、言い切った。
趣味でレザークラフトをしていたが手の震えで何も出きないなりに革靴を磨いてやろう。と、毎日を生き甲斐にしている。同じくレザークラフトをしていた方に、
絵も描けない、レザクラも出来ない。悔しいんだよ。と、言ってしまった。弱音を吐いてしまった。眼を真っ赤にして導いてくれたのを今でも忘れない。無理な減断薬をしたわたくしのカネ周りの悪さ。痛いも痒いも何も言わない孫が痛がっている。相当な痛みなんだと祖母は涙目で言った。余談だが靴をやたらに買う男性は欲求不満だという。何故ならば靴というのは女性器の象徴であるからである。
逆に靴を沢山所持している女性はそれだけの男性が居るという事である。男好きだと勘違いをしないでね、わたくし自身が男扱いですから。え?沢山の靴を所持している、だったら欲求不満だとか言わないの。
性欲なんて無いよ。オーナーが言ったんだ。
凜ちゃんいい彼、見つけたな。
父親かと思ったよ。ましてやオーナーと王子さんが初めて会話をしたのは夏のアメ車フェス。その後にショップに連れて行った。わたくしがいつどうなるのかが解らないからわたくしの行動範囲の人に会わせているのだ。)

うん?王子さんはやたらモテていたよ。その王子さんと遊び疲れた二人が一緒になったんだよ。二人で歩くだけでも怖かった。誰かに刺されるんじゃないかと。

今は静かに。

痛みの無い世界へ

全身不随意の痛みが強い。解りやすく言えば低周波治療器をマックスかけられている痛み。皮膚は皮下出血を起こし胸部の圧迫痛で飲み込むのがつらくあばら骨をさらけ出し始めた。骨が痛く命が削られてゆくのを知覚する。絞られる内臓を掴み射る指は腫れ上がり不随意をする。
痛みの中の吐き気でパニック症であった時の嘔吐恐怖症が頭に掠める。それでも君しか居ない世界を覚えている。一瞬でも愛されていた。愛し足りない。好きになってはいけない。本当に好きになって別れたら一生、会えない。ならば友人関係の方がいい。
本当に一瞬だけ好きになったよ。
誰よりも大切に想って。一番に。
綺麗に愛してくれたから。

まだまだ愛していたいのに。

陸運局に行った

慣れない場所に未だにパニック発作の不安が付きまとっていた。午後からの天気予報によると晴れだった。前日の全身不随意の痛みのおかげで固まった身体は起きあがるのに二時間かかった。カーテンを開けると雨であった。次第に全身が痛み出してはいたがせめて印鑑証明書だけでも取りに行こう。ガソスタで車に燃料を入れているうちにみぞれに変わった。ノーマルタイヤのままのわたくしは躊躇をしたが今日より明日の方が痛みが凄まじかったら、昨年の今頃は我慢ができる痛みだったが年末年始からの痛みを知っているので行った。みぞれと雨の中、
涙雨か…もしくは雨降って地固まる…なのか…
ふと、君が生きていた時にバレンタインデーにプレゼントを渡した事があった。わたくしはお付き合いをしている方にバレンタインデーにプレゼントを渡す事はほぼ無い。何故ならば毎日、愛しているからである。その中でも特別な存在の方にはプレゼントをしたくなり半年や一年前からリサーチをする。喜んでくれるかなぁ?逆に駄目なのかなぁ?と、ずっと考えているほどに大切に想っている。様々な想い出が駆け巡った。ホワイトデーに君のローレルの助手席に乗って目が悪い君をいつも通りにナビをしているとカーラジオからはしつこく今日はホワイトデーです。と、何度も何度も聴いた。君は笑いながら、しつこいわ、と、車を停めた。待ってて。君は白い花の鉢植えをプレゼントしてくれたね。お返しって。
わたくしは薬の離脱症状か後遺症なのか道の記憶が消えてゆくが一緒に居た人間の言動や行動は総てを記憶をしている。その為に忘れたい事も想い出になっていてつらくなる。
吹き荒れる中、痛みが強くなり目が見えなくなる中、わたくしはステアリングに掴まり陸運局を目指した。つらかった。溢れ出す想い、お金さえあればローレルを生かしてやれたのに。急な減断薬さえしなければ。本当に悔しさに滲んだ時に助手席に置いてあった重なり合った二枚のナンバープレートが突然、無機質な音を立てた。
やっぱり。離れたくは無いんだね。と、思った。
ごめんね。と、呟いたと同時に雨は止み夕陽が見えた。わたくしは眩しすぎない夕陽を目指し走った。

C33のナンバーを外した日

免許を取得してから20年間の愛車である。わたくしが15歳の時に父が会社のメルセデスのショベルで事故を起こし半身不随になり修学旅行のお小遣いや免許所得費用や父の介護に行くお金が脳内を駆け巡った。バイト代よりも高い列車賃で介護に通った。8歳上の男性とお付き合いをしていたわたくしは卒業後その方のソアラに乗っていたがタービンブローと同時期に事故った。わたくしが15歳の時に知り合いずっと好意を持ってくれていたが付き合わなかった男性がローレルに乗っていた。お付き合いをしていた方とは週に一度しか会えなかったがローレルに乗っていた男性とは毎日の様に一緒に居た。友人として。わたくしが好きな歌を覚えギターを弾きながら唄ってくれた。お兄ちゃんの子どもさんと3人で遊んだりサッカーを見に行った。毎日バイト漬けのわたくしの為に料理を作ってくれた。

凜は男と別れてくれないけれど、
凜が免許を取ったら一緒にローレル乗ろうな。
一緒に。

そう言って転勤をする事になり学生の時から持っていたというベースアンプをくれた。転勤前に職場で怪我をしていたのでこちらでの労災の怪我の申請で帰って来ていたのを病院の駐車場でローレルを見た。わたくしが高校生ながら欲しがっていたので買ってあげた携帯電話が助手席にあった。着信を入れると狭く緑色に光った小さな画面。少しだけ待っていると髪を短くした君が驚きながらも嬉しそうに出て来た。そのまま釣り堀に行き遊んだ。今日中に帰ると言った君は次の日、お兄ちゃんの友人達と行った川で溺死をした。
それからわたくしは狂った。
愛されていたのを知った。国道でスライドをした黒いローレルを見ては生きていると思い知らない黒いローレルを猛スピードで追いかける様になった。ナンバーが違うと自分に言い聞かせているうちに食べ物を吐く様になった。食べ物で満たされる事を棄てた瞬間であった。そうして似たローレルを買う事に決めた。自分が乗れば満たされると。君のローレルはディーゼルであったがわたくしは何台の中ものローレルを持って来てもらいガソリンのローレルを見つけてもらった。その時である。
就職をしたてで臨時職員、ローンが組めないと。総てのローン会社が駄目であった。今でも覚えているのはローン会社に言われた、
両親が離婚していますよね?その様な家庭の方は滞納が多いのですよ、どなたと暮らしています?
祖父母です。
なら年金生活ですよね?

終わった…

ずっとバイト生活をしてきたのに。
そこを何とか遣ってくれたのが某ディーラーの部長である。そして部長の友人の保険会社の方に面倒をみてもらった。
車に車検証を取りに行くのにショックでキーを忘れて取りに行っている間に外されたナンバー。ナンバーが外れた空虚よりも重み。
何故か20年前に買ったローレルのナンバーが当時、就職先の電話番号だったんだ。
痛みで陸運局に行けるのかは解らないが明日までに行く。
王子さんにはお金がかかっても兄さんに頼んでみたらいい。と、言われたがその兄さんが電話に出ないからね。

断薬二年三カ月

全身ビリビリブルブルとした痛みは強く不随意の痛みも強く視神経や眼球が引っ張られる痛みや三叉神経から歯の神経にまで痛みがあり顔面のビリビリとした痛みが強い部分は吹き出物ができる。強い力で筋肉が収縮をしているので腕や肋骨部分が痩せてしまった。横になると骨が当たり尚且つ不随意をしているので寝ているのもつらい。車の運転に関しては不随意をする身体に力を入れて座っていないといけないので先日、遂には尾てい骨付近を擦りむいていた。内臓が絞られる痛みや胸部の圧迫痛に吐き気がある。痛みで気絶をする時は良いのだが最近は気絶というより意識が朦朧とし出し脂汗をかいて気を失う事がある。待ち時間のパニック発作は無いがザワザワとする感覚と息苦しさは残っている。一年ぶりに車の助手席に一時間以上も座っていられたが視力は安定をしなく耳が聞こえにくい日もある。痛みで声を出すのもしんどいが王子さんの弟さんが骨折をし重傷なので手続きや介助に行っている。弟さんの会社の社長や事務所から頻繁に電話が来るがわたくしが参ってしまうので話だけでも聞いてあげられるからね。と、言われ安心をした。何軒かの行きつけのショップのオーナー達にもいつでも息抜きに来て下さい。と、言って戴き先日、知り合ったばかりのシューフィッターさんには涙ながらに私が救われました。と、生き方を肯定された。昨年、友人にも凜ちゃんの言葉に救われました。と、言われた。救われているのはわたくしの方で手の不随意で絵を描けない、レザークラフトも出来ない、眼の痛みで映画も観られない、本も読めないが服薬をしないで凜さんが良くなったら素晴らしい事ですね。と、励まされたので堪えている。
凜ちゃんみたいな格好いい大人になりたいです。と、言われたが月に五千円は支払う薬代をケチり急な減断薬で地獄を味わっている二年三カ月。
格好悪いね。格好いいというものが解らないが。
亡き、団 鬼六さんから戴いた言葉と書。思い出すだけでも涙が溢れ出す。
人を傷つけたくは無いのに傷をつけられたから散々嫌な事を言って。本当はそんなエネルギーを使いたくはない。迎えてくれた体温は温かく眼は優しく応えてくれ握った手は虚勢を張っているのに小さかったんだ。

断薬二年二カ月

全身不随意とビリビリブルブルの痛み時に骨にまで響く痛み内臓が絞られる痛み視神経のビリビリブルブルにより視力も安定をしない。全身に強烈な痺れがある日には冷感や熱感を伴い脂汗をかく。状況は変わらず痛みが身体の深部まである。むしろ悪化をしていると思う。左足は左右に引っ張られ右足は前後に引っ張られる。とにかく全身低周波治療器をかけられている痛みの状態は変わらない。座っていても横臥をしても身体があちこちに不随意をする。この動きが年末年始から強く出ている。痛みが我慢できる日には行きつけのショップの店長と談笑をしているが帰宅後には強烈な痛みに気を失う。また皮膚の皮下出血もしだしているので脳の血管でも切れたら終わりだと思う。現に脳もビリビリブルブルとしているのには変わりはない。なので動ける日には行きつけのショップ五店舗ほどを代わる代わる顔を出しに行っている。この五店舗は共通のお客さんやアパレルなのでショップ同士でも話が回るので楽しい。店長や店員さんがお話をしたいのでいつでも来て下さい。また元気な姿を見せて下さい。と、言ってもらえるのが励みになっている。