lynnosukeのブログ

愛なんてそこじゃなくて生きてるだけじゃ足りなくて

ペン

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ガラスペンのペン先に興味があり定価の倍もする価格で買ってあった雑誌。表紙を開くと見覚えのあるスペードとエースのマークが。そう、パーカー社製デュオフォールド誕生100周年記念モデルの万年筆が。わたくしはデュオフォールドのボールペンを持っている。初っぱな万年筆を見せられ目次を挟んでまたパーカー。わしはガラスペンの勉強をしたいのだ、あかんて、万年筆なんて見せては、せやろ?と。そうしてようやくガラスペンが現れた。工房や作家によって工程やペン軸とペン先の間にある廻り止めの違いがありなるほどな。と一人頷いた。ペン先の溝の本数辺りの知識はあった。そして紙やインクの紹介。これは前回、紙の種類やインクの特性の予習をしていたのでわりと見覚えがあり少し嬉しくなった刹那、まぁた万年筆→パーカー→万年筆→終盤にもパーカーのペン。こちらはわたくしが持っている別バージョンのローラーボール。心の中でパーカーは2本もあるのだ、買わないんだ!手ぇが震えて手先が不自由なのだ、いらない!そもそもパーカー推しというわけではないのだが風変わりなペンを持っている結果、互換性のあるリフィルが無くデパートや文房具店で必ず取り扱っているブランドのパーカーに行き着いているだけ。ガラスペンにもキャップ式やコンバータタイプがあり、いいなぁ。と眺めていると自作のペンケースやペントレイの紹介。あぁ、ペン置きを造らないとと思っていて忘れていたわ、何なら透明軸のペンケースもだ。そして気になるデザインの筆記具は全てイタリア製であった。わたくしはやはりヨーロッパ圏に旅行にでも行ければこの上なく幸せ物質が放出されると感じたのだがパニック持ちなので寛解ですらしかない。横臥をしながら痛みに堪え雑誌を見ていて目に留まったガラスペンがあった。ピエールカルダン。ペン先が上向きになる様に廻り止めが大きめで価格も安価。二度見したわたくしは、まぁじっすかぁ!?これならペン置きなんていらないじゃんね、いいなぁ。子どもの頃、ピエールカルダンのアイスクープで桃の缶詰めやみかんの缶詰めがおやつだったので郷愁すら感じた。ガラスペンを眺め目で肥やし小さな文字の価格帯を憶えられないなりに復習をしてみた。このタイプは三万円弱かな?と。うん、大体の目利きは出来た。職人額と売価と掛け額。何時になったら止まったままのアパレルに行けるのかね。

断薬六年一カ月

全身疼痛は増すばかり。筋肉がビリビリブルブルと強く深部まで痛み不随や骨の痛みに内臓が捩れる痛み。毎日毎日、腹部を連打されている痛みに耐えている。(ボクサーとお付き合いをしていたのでボディへの宿命すら感じる)脳もビリビリし頭皮もビリビリとしているので眉毛や睫毛も微振動している。視神経も痛く眼球がひっくり返りそうな痛みもある。断薬六年目にして反跳現象が強すぎる。一昨年、左肩の痛みに駆け込んだ病院の受付で内科の受診と言われた。そして振戦とも違うと言われ脳外科である。離脱症状やアップレギュレーションについて無知な医師が多すぎる。パニック症を発症した14年前ですら過換気ではないか?と二軒の病院の結論であった。息が苦しく発作を起こし次第に嘔吐恐怖症、外食恐怖症、広場恐怖症。ここからパニック症の吐き気だけではなく服薬の副作用による吐き気でもあった。これを抑える抗コリン作用の服薬。完全なる飼い慣らしという名の依存性。更なる誤診。物作りの人間の身体を奪い物書きからの言葉を奪った。昨日、久し振りにゴミを出しに外へ出た。日差しは夏だったが触れた風に秋を思い出した。五年前の初夏に太陽の下で見た黒曜石の記憶がフラッシュバックした。あの頃は手探りでこうなる事も分かっていた。この感情の言語化が出来れば又、物語が書けるはずだと思う。元親友が言った「君は攻撃的な文章を書かなくなった。」これが答えなのも分かっている。

気球にぶら下がり帆船に降り立った。石鹸箱から外に出て暑い砂浜の貝殻の中で隠れんぼをした。フィルムを持って戻れないあの海に沈んだ。風見鶏を見上げツリーハウスから湖畔を目指しロープで言葉の重みを引きずった。野犬にウイスキーボトルの炎を放ちショットガンを向けた。空にピンク色のクジラが雲を作った。

ペガサスと戯れわたくしは無邪気だった。

解放

先月から王子さんの会社の社長と専務が新入社した。たまたまお昼休みに会社に居た社長がコンビニから戻った王子さんに言ったそうだ。お弁当代、会社で出すよ?王子さんは今だけ、夏場だけだからいいですよ、そんなに食べないし。そして先週月曜日、お弁当を持ってきている社員に明日から今週いっぱいみんなで食べよう、お弁当は持ってこなくていいからね。そうして先週いっぱいお弁当が当たっていた。そして今日お昼休みにコンビニを目指していた王子さんに着信が、○○君!お弁当あるよぉ!これからずっとお弁当を出します!わたくし高校生の時から自分でお弁当を作っていたので長年のお弁当作りから解放された。しかしながらである。王子さんの場合、五月から九月の間はお弁当作りがなくその間はコンビニでおにぎり、サラダ、野菜スープ等の決まりきったメニューを知っていた。お弁当を持たせている期間は昼夜食材がダブらない様に作っていたのだが毎日、仕出し屋さんから勝手なメニューで届くので昼夜とメニューがダブる可能性が出てきた。お昼にとんかつだった日、夜にとんかつにしようと考えていたが途中でお魚に切り替えてビンゴだった。この切り替えしどおりにゆけば仕出し屋VSりんのすけのダブらない選手権の開幕である。断薬から手の震えが強くなっているわたくしはおかずカップに盛り付けさらにそれをお弁当箱に入れるのが大変な作業であった。これで前日からメニューを考えるのが一つ減った。献立ノートのお昼分の余白を夕食分にすればノートの節約にもなる。わたくし、ご苦労様でした。

投影

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カメラが好きであり先日15年ぶりであろうか、カメラバッグから出してみた。レンズは保冷保温ドリンクボトルホルダーに収納をしている。この当時どういう風の吹き回しか一眼レフでトイカメラ風の撮影に力を入れていた時期がある。例えば魚眼レンズは高価なのでホームセンターでゴムカップとドアスコープを購入し魚眼レンズ風に。オードブル等のプラスチック蓋にセロファンを貼り片手でレンズ前にかざせないのでプラコップに切り込みを入れレンズに装着をしセロファンを差し込んだりプラスチック板にカッターナイフでクロスフィルターやスノークロスフィルターの切り込みを入れてみたりと。父宅でそれを披露した時にはデジ一眼ではない父は深く頷きデジタルの時代にそういう手法っていいんじゃないの?と、面白がってくれた。図に乗ったわたくしは天井の電球を普通に撮影し赤のカラーフィルターをかけたらこんな感じ、いい?見ててよ?とクロスフィルターのダブル使いで電球を撮影し見せると父はぐうの音も出なく横に座っていた王子さんに一言。大変だねぇ、個性的な人と居るのも。笑。と言ったがあんたの娘だよ、というのが多々ある。他には双眼鏡をバラし凹凸レンズ風、ネジまでかまし凹凸レンズ側でもピント調節が出来る様にしたりと。わたくしの周囲はプロアマ問わずカメラ人口が多くプロカメラマンの方に言われた事がある。女の子ってトイカメラ風やポラロイドが好きですよね、僕は苦手な方なんですよ。でもね、りんさんを見ているとデザインやクリエーターな人にしか撮影が出来ないと思う様になったんですよ。その対話でわたくしが言ったのは、トイカメラ風やポラロイドというのは非日常的に切り取る謂わばアートだと思うのですよ。写真って現実を写し出し時に残酷で、そこをポラやおもちゃカメラでセルロイドの様な無機質に人工物を浮かび上がせる手段というかレトロさがね。僕はライカは勿論、意外とソニーが使い易くて初心者の方に勧めるんですよ、りんさんはどうですか?あー、初めて買ったコンデジソニーサイバーショット、好きなのはニコン。キャノンが車でいうところのオートマだったらニコンはマニュアル。んで大砲みたいなレンズを持っている人間は大抵キャノン。父はペンタックスのフィルムで母はオリンパスのフィルム。王子さんが海外旅行に行く際に初めてペンタックスコンデジを購入しレザーでカメラケースも造ってあげたのだがそれっきり使用しておらず写真のプリントも全てわたくしがした。家電に弱いので。わたくしのニコンはレンズ内手ブレ補正があるのだが本体に手ブレ補正は無い。ましてや利き目の左目が見えにくい。最後に撮影をしたのはわたくしをお姉と慕っていた弟分。会社を辞め精神薬のカクテル処方により駄目になってゆく狭い一人暮らしの部屋で二人きりで居た。後に知った。あいつはりんちゃんの事が好きだったんだよ。

カメラの電源を入れようと思ったがデータもF値も忘れ過去から逃げた。現実を直視し過ぎてきたのだと思う。手の震えや不随意が弱まればカメラを持てるかなぁと思いつつ動かしにくい両手親指なので大事なカメラは構えなかった。現に親指があまり動かない弊害で人差し指に火傷をしている。

わたくしは右手首にカメラのベルトを巻き左目で被写体の君を遺す。撮影をしながら必ず言う言葉があった。

君のリアルが見たいんだよ。