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lynnosukeのブログ

愛なんてそこじゃなくて生きてるだけじゃ足りなくて

閉ざす口

人前で食べるという事が苦手そうな方がいた。お腹が空いている。と、言うのでわたくしが友人に買ってあげたパンを分けたのだが食べない。それでもお腹が空いている。と、言う。ようやく食べ始めたのだがわたくし達の方は見ないで食べていた。その方が帰った後に友人と話をした。通常なら学校給食や学食やお弁当など必ず人前で食べてきているじゃん、あれだけ恥ずかしがるのって食事中に何かしらあったよね?お弁当が恥ずかしくて隠しながら食べる人もいるじゃない、いじめられて人前で食事をするのが恥ずかしいとか。人によっては食べる行為が排泄を見られるぐらい恥ずかしいって言うじゃん。そうですよね、僕達の前でも隠す様に食べていましたよね。きっと学生の時にはお昼は食べていないよ、親からのお弁当を断るも学食でも食べられず。そのせいもあってか痩せていた。わたくしは中学生の時にボランティアスクールに入っていたので聾唖者施設に泊まっては知らない人達と一緒に食事をしたり大勢の生徒と船での共同生活も経験している。規律下にいる様な感覚で嫌いであったが人見知りの克服と協調性を養う為であった。追々、話が聞こえてきたのはやはり学校でいじめに遭いお昼は食べていない、食べている姿を見られるのが恥ずかしい。両親が高齢である。きっと周りの同級生とは明らかにお弁当のカラーが違うのだ。仕事も一人でする仕事を選んできたと。人前で一人で食べる事にも勇気がいるのだと考えさせられた。他の人でも今まで食事に誘ったが頑なに拒みコンビニでおにぎりを買って車内で食べている人もいた。集まっていてもみんなの前では食べないのである。そんなわたくしはパニック症から嘔吐恐怖症と外食恐怖症を発症してしまったので友人達と外食をしていたのが懐かしくも賑やかな思い出である。友人宅の親の料理も数多く食べてきた。 子どもの時からわたくしの両親は遊びに来た友人に食事を用意したりお泊まり会も頻繁にあった。家庭料理とは個々が育ってきた環境なので恥ずかしがる事はないわけでそれがいつしか人前で食事をする事が出来なくなるという事、身内以外で食事をするのが出来ないと空腹にも耐えるのかと思うともの悲しく感じた。一度目は恥ずかしがって食べていたので二度目の時には持って帰って食べな。と、言った。話す為に開かれる口は外へ向けてだが口を開け咀嚼をし飲み込むという行為は別物なのだ。時には性的な意味をも持つ。恥ずかしくても当たり前なのかもしれない。