lynnosukeのブログ

愛なんてそこじゃなくて生きてるだけじゃ足りなくて

現実逃避

二十三歳まで休日になるとお昼過ぎに起きシャワーを浴びてから呑んでいた。夕方に寝て夜からまた呑む生活をしていた。この間、全く休日が無い期間もあった。受付の仕事の他に土日、祝日は生え抜き集団といわれる営農組合で鉄筋を組んでいた。事務屋が何をしに来た。と、開口一番に言われ仕事の内容を聞いても無視をされた。後半はうちで何とか働けないか?と、言われ続けていたが高校生の時に行っていたバイト先から引き抜かれたので新庁舎での特例での任期継続も断った。現場仕事が好きで鉄筋や土や苗の管理を一通りは覚えていたからである。冬場は歯科助手。母が難病を発症をしてから冬場は働かなくなった。パニック発症前にも休日はあったが車の運転があったので呑んではいなかった。そして発症後は服薬をしているので呑むのは夜だけであった。断薬一年八ヶ月を過ぎた今、昨年の五月からたまにお昼から呑む様になった。約十年振りのお昼呑みは美味しかったのだが痛みを紛らわす傾向があり量が増えた。最近では不随意が強く座っているのにも疲れるので寝たきり生活をひと月。今日は王子さんがサッカーでおらず明日のお弁当の用意も無いのでビールを呑んでいるがやっぱり不味い。昨夜も痛みで気を失っていたぐらいであるからアルコールを分解する身体ではないのだと思う。先月は生理が無かったので下腹部に痛みがある。しまいにはずっと胃が痛いのである。痛みばかりである。お酒好きがお酒を呑めなくなったら何でストレスを発散を出来るのであろうか。仕事でストレスを発散していた人間が寝たきりとなり視神経の痛みから映画も観られない。音楽は聴ける様にはなったのだが映画、音楽、ファッション、趣味の殆どを奪われる生活を十年あまり。先日はダンススクール時代の友人に怒られた。そもそもパニック発症は人の事を世話してなったのだからしっかりとしてくれと。どこの男を囲っているのかは知らないけれどそんな事をしているから治りも遅かったのだと。その間に膝の手術をしているのでダンスなど踊れるわけもない。あちこちの靱帯も切っている。前みたいな人間に戻って欲しい。と、言われたがわたくしは静かに暮らす事を望んでいる。自分の身体は自分が良く分かっているので昨年九ヶ月間わたくしが支えてあげるからと無理をして行きつけのショップに通った。断薬一年八ヶ月間もかなり無理をした。周囲が波風を立ててくれる方がストレスになるのだ。前みたいな人間と言われてもわたくしの本質は変わってはいない。友人の言う事は分かる、クラブで攻撃的なステップを踏みながらフロアーの真ん中で踊っていたのを覚えている。ハットを目深に被っていたが誰しも直ぐにわたくしだと分かりフロアーの真ん中を開けてくれるのだ。それすら叶わない想いはとっくに捨てている。富と名声は危ういのだ。十代の頃を知っている人に言われた。パニックを発症してもりんちゃんはりんちゃんで何も変わらなかった、制約をされた生活の中でも。それがどんどんと独りになろうとしていると。あれだけ大人数で連んでいたのに、何かあった?と。わたくしは一人っ子なので元来一人が好きなのである。ワインが冷えた頃なのでワインにシフトをする。いいご身分ですね。