lynnosukeのブログ

愛なんてそこじゃなくて生きてるだけじゃ足りなくて

憂鬱さを遺して逝った母

そろそろ自分の誕生日が近い。年を重ねる憂鬱さではなく誕生日、それは母の命日である。わたくしを産み落としたほぼ同時刻に脳溢血で亡くなった。わたくしが二十三歳の誕生日の日であった。アルコール依存症鬱病アルコール中毒躁鬱病躁鬱病に関しては精神薬の副産物から成り立って行ったと大人になった今なら確信ができる。落ち込みからアルコールに頼り身体からアルコールが抜ければ現実感に悲観を始め。見守る事しか出来なかった家族には彼女の奥を埋められず精神科という檻の中に閉じ込めてしまった。シラフになれば直ぐに退院をしまた現実世界に放り出される彼女に悪い事をしたと未だに思う。三歳から記憶があるわたくしはその頃から酒浸りの嫌な母を見てきた。時に暴力的な退廃さ。幻覚の中の彼女を子どもながらに引き戻そうと必死に居た日常。わたくしは十年前にパニックを発症しすがる思いで服薬をしたベンゾジアゼピンSSRI、抗コリン作用、頓服。これらの服薬による副作用。時間が無く焦っていたのは確かである。時間は増えないのだが自分の設定値を超えていた。先日、免許の更新講習があったのがパキシル断薬による不随意の痛みが尋常ではなくその前四日間は痛みと吐き気で何も食べる事が出来ない酷い状態で行った。予期不安というよりは座っているのがつらい状況の不安であったが行けるだけ楽しもうと言い聞かせながら。講習十分前にお入り下さい。ギリギリに行こうと思っていたが後ろの席が空いていなかったら?五年前に座っていられた事を今年になってからイメージをしていた。当日、会場の部屋は違い後ろの席は埋まっていた。景色は違った。受付の方に言った。具合が悪いので後ろに座りたいのですが。全身不随意でガタガタと震えているわたくしをきっとインフルエンザか何かと思っていた事でしょう。直ぐに長テーブルと椅子を用意してくれたが自分の名前を書くだけに八分もかかった。震えて書けないのである。痛みに脂汗をかき出し上着を脱ぎだしたところ熱が上がってきたのではないか?と、判断をした職員は暖房を下げた。人って優しいのだな。と、思った。パニックを発症して解ったのはこちら側が言わないと時間は進まないと思っている。独りでくすぶった代償、総てのこの旅は自分が始めた現実。ただ今は留まっているが時間は進んでいる。自分以外にも留まっている方が多く居る。その世界の中でも取り残されたとは思わない。やり直しというよりは進むしかないのである。どれほどまでに周囲に迷惑をかけていた母を見てきたからこそ設定値を上げすぎた。その自分の甘さ。今は淡々と時間が過ぎてゆく中に居る。悔しさよりも諦めている。様な見せかけ。せっかく産んでくれたのですから好きに生きたいもので。出来る事なら。