lynnosukeのブログ

愛なんてそこじゃなくて生きてるだけじゃ足りなくて

母の日

十六年前の母の日はわたくしの母の四十九日であった。我が子の誕生日に亡くなり六七日はこどもの日であった。絶対に忘れられない様に逝った母親。アルコール依存から鬱病アルコール中毒躁鬱病へと成り上がった。両親は離婚をしわたくしは父に付いて来た。後に父は事故で半身不随になる。一人っ子の辛さは両親を均衡化しようと取り持つ。若かった母親はわたくしが父と居る事に嫉妬をし寄り付かせなかった。アルコール中毒者は刃物沙汰が多く何度も母親の血液を見て来た。道標の様に点々と滴る赤い血液の跡を辿るとベッドと壁の間から血塗れで引き上げられた母親。錦岡の檻の中の精神病棟に連れて行かれた後に血だらけの浴槽を子どもながらに洗った。その母親がわたくしの誕生日の夜にベッドの中で脳溢血を起こした。朝には冷たくなっていたそうだ。急いで帰ったわたくしは母親の部屋のごみ箱を真っ先に見た。多めに服薬をした薬の袋が捨ててあった。側に居れば止められたのに。わたくしの誕生日で着信があり気がついた時間が遅かったので掛け直さなかった後悔が何年間も付き纏った。数日前まで母親と一緒に居たからである。毎年、淋しさが押し寄せ呑んではいけないのに酔っ払った母親の、お誕生日おめでとう。の声を聞けなかった。四十九日の日わたくしは苫小牧に帰った。ダイエーで沢山のカーネーションとカスミと母親が好きだったユリの花束を作ってもらった。店員はラッピングをしリボンの色はどうなさいますか?と、言った。仏前にあげるカーネーション。正直ラッピングやリボン等はどうでも良かった。
土日に七日参りが当たる仏様は良い人なのですよ。休日なら沢山の方が来れますからね。お寺さんはそう言った。娘さんも生き物を扱うご職業なのでお休みは取れないでしょう。日曜日だけですものね、休めるのは。喪に服す為に着ていた黒のジャケット、今では色褪せた。それがわたくしの母の日。