lynnosukeのブログ

愛なんてそこじゃなくて生きてるだけじゃ足りなくて

M氏へのギフト

今年の友人M氏へのお誕生日プレゼントはイフタール(ラムザーン明け)のミターイー(おやつ)とウィダーインゼリーとクルアーンのキーホルダーにした。わたくしはアラビア語が読めないのだがワンペアで何か身近な物にしたかった。前回はミニポーチやクリップボードのワンペアをムスリムフレンドリー的に。それが本人は、ダキシメテ、チュウヲスル。最早、めへぶーば(愛人)である。先日わたくしは手の震えが弱く座っていられる数分間アラビア語で自分の名前を書いてみた。文字には独立形、連結形(語尾、語中、語頭)とあり書いた翌日、見てみると、何て書いてあるのか分からんわ!M氏が最近わたくしに教わった日本語は“お浸し”である。キョウ、ナニツクルノォ?お魚を焼いてぇ、焼き魚ね、さらーど(サラダ)とぉ、お浸し。オヒタシィ?そして覚えた言葉が“ショウガナイヨネ”である。わたくしの身体の痛みが悪化しているのを説明をするのに面倒なので、しょうがないよね。と言うのを覚えたのだが一瞬言われ時が止まった。元親友と再会を果たした時、二人でムーヴィー撮影越しに彼が言った。後、数年後に死ぬわたくしです、どうも。二人とも病人みたいだね。と言うと、まぁ、しょうがないよね。久し振りに人から聞く“しょうがないよね。”という言葉に生き写しかと思った。確かに頭の良さとキレ、人を見据えた様な眼差しは似ていると思い元親友は同級生なのに、俺は半分、君の保護者だからな。と言った。M氏とは似ているところがある。イスラームなのでお節介ぐらいの優しさ。元親友がそうであった。M氏へのクルアーンのキーホルダー、本当ならばラッピングをしたいのだが奥様とM氏にストレスになってはいけないと簡素な紙袋に入れお誕生日おめでとう。とウルドゥー語で書こうと思う。奥様にはマスジド(モスク)かトモダチに貰ったと言えば良い。わたくしは恋愛感情は無いが優し過ぎると言われる性格が男性に勘違いを引き起こしてしまうのかもしれない。

顔が腫れているから人に会いたくないんだよ。と言うと、ショウガナイヨネ、リィンチャン、キレイダヨ!ウソジャナイヨ!わしかて歳、取るわ!そんなM氏、パスポート等の記載年齢より実際には三歳若い。 怖いですねぇ、怖いですねぇ。そういう国なのですよ。今、思いついた。簡素な紙袋にお誕生日おめでとう。と書かずに栞を作りそこにお誕生日おめでとう。と書こう。前にイタリアの栞をあげた時に、じゃーぱーん、しおり、ぶっくまーく。と説明をすると、ワタシ、ベンキョウノトキニ、ツカウ。と言って下さったので。