lynnosukeのブログ

愛なんてそこじゃなくて生きてるだけじゃ足りなくて

普遍的

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女性犯罪者というのは複雑なのかもしれない。読み終わりやはり動機が見えてこなかった。もしくは無実を訴えているが故に冤罪なのではないのかとも思ってしまったが思い返せば彼女は夫と保険金詐欺をしている。そして近隣住民とのトラブルにも聞く耳を持たないのである。劇場型というよりは単純に世間知らずだと感じた。日常的にゴミを用水路に不法投棄し続けるであろうか。そして獄中からの手紙に夫への愛情を情けから結婚をした様に書かれてあったが彼女自身、父性を求めていたのではないか?母からの母性愛の強さや自身の子ども達への愛情を見て取るからに寂しい思いはさせていないのである。むしろ子どもや夫中心の何処にでも居る主婦なのである。お祭りでの毒入りカレーという我が子が口にするかもしれないというリスクをわざわざ犯すのだろうか。もしくはそれ以上に子ども達を従順させていたのだろうか。これは彼女が幼い頃よりピアノを習っており自らの子ども達にもピアノを教えている。わたくしの母はアルコール依存症から鬱病アルコール中毒と成り上がり現状が理解をし得ない幼少のわたくしにいつも服従をさせてきた。そこにしか居場所が無いからである。彼女達の家庭に暴力が無かったのは平穏な家族で居たかったはずなのである。それを死者をも出す動機が分からないのである。そうなるとパーソナル的に傾きがあるのは確かで。子ども達に送った手紙の内容を見るとわたくしの友人の母に酷似していた。友人の母は厳しく育てられ不自由を知らず結婚から離婚後タガが完全に外れてしまった。人前でリストカット、それも切れもしないぐらい柔な。被告は居房にあった箒の針金と釘を飲み込み自殺未遂をしているがこれはその時の情緒の不安からであり本当に死にたいのなら刑務所内とはいえ幾らでも可能なのである。それはやはり家族の事、人一倍、死ぬのが恐いのである。逆に言えば生かされてきた人間であり死の恐さを知らない。そう考えた時、人の死を知らない安易な感情があったのかもしれない。著作とは別に、あの人達が引っ越しをして来てから身体的に具合が悪いと訴えている人達も居るのだ。メディアでの報道は時に情報操作という誇張もある。以前、騒音おばさんと名付けられ連日報道をされコントや映画にもなっているのだが騒音おばさんが被害者だったというのを知っている人がどれだけ居るであろうか。隣人への迷惑行為はそもそも隣人からの学会へのしつこい勧誘があったのだ。学会といえばお布施が付き物で障害年金でやっとの生活で介護生活をしている家庭の気持ちなど分からない。お見合い相手に障害があるのも知らず結婚をさせられ産まれた子どもも障害を持ちその介護に大変追力をしてきたあげく学会へ入らないといった理由から嫌がらせを受けの結果なのである。その隣人は障害のあるご子息が居るのを吹聴し騒音おばさんとメディアで取り上げられたが彼女はご近所では人当たりがよく事件後もご近所に頭を下げ息子を家庭をちゃんと守ったのである。家庭を持てば責任能力が産出されるのだがそれは子どもを育て上げれば良いといった短絡的な話なのかもしれない。子どもから手が離れたから自由に。果たして人間はそんな単純理由で日々、生きていて良いのだろうか。そんな欺瞞のレールを歩いて。