lynnosukeのブログ

愛なんてそこじゃなくて生きてるだけじゃ足りなくて

自己愛

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今になって読んだ。発売から気になっていたのだが印税を被害者家族の賠償金にするという旨に引っかかっていた。当然、被害者家族は印税を拒否している。自分が同じ立場であった場合、どの様な心理状態で本を手にしたのか?事件の真相を知りたい、或いは加害者に対する同情なのか。いずれにせよ「興味」でしか過ぎない。これは被害者家族にとっては感情を煽るだけの行為だと思い手に取るのを止めていた書籍である。届いた奥付を見ると一刷であった。読み始めると描写の仕方がドフの罪と罰の主人公ラスコーリニコフに酷似していると思った。加害者は長子ではない柔和な部分がありながらも小学生ぐらいの年齢のままとも見えるとても自己愛が強い。そして発達障害がある様な文章であった。事件全容というよりは逃亡生活にフォーカスをした書籍なのだがもしかすると加害者にはアリス症候群があるのでは?と、垣間見る箇所があった。これはわたくし自身アリス症候群がある。罪と罰にある「犯罪遂行の行為は必ず病気を伴うものだ」P453

罪罰から抜粋をしてみる。

この世の中には一切の無法行為や犯罪を行う事ができる。いや、できるというのではなく完全な権利をもっている。ある種の人々が存在し法律もその人々の為に書かれたものではない。←これを暗示とする。

凡人はつまり平凡な人間であるから服従の生活をしなければならないし法律を踏み越える権利がない。ところが非凡人は、元々非凡な人間であるからあらゆる犯罪を行い勝手に法律をも踏み越える権利をもっている。

加害者の文章は緻密な部分があり罪罰でいうところの「疫病」強烈な自信をもち自分は聡明で自分の信念は正しいと思い込む様になる。自分の判決、自分の理論、自分の道徳上の信念、信仰を絶対だと。

人間の本性を忘れた理性だけによる改革が人間を破滅させる。

貧は罪ならず真理か?人類全部が卑劣でないとしたら後の事は総て偏見という事だ。見せかけの恐怖に過ぎぬ。とすれば何の障害も有り得ない、当然そういう事になるわけだ。

まさしく書籍はリンクをする文体であった。読み進め加害者は罪と罰を読み文章に触れていた。どこかいつも俯瞰で愛された経験が無いのが判る。沖縄での潜伏先の狭い建物、わたくしは思った、トーチカの様なその小屋に幾度と無く居場所を求めていた。ある殺人犯の弁護士集団が裁判で原点回帰と言った。

逃げても逃げても沈む事をも出来ない人は1(位置=スタンスの意味)である。0にはならないのである。