lynnosukeのブログ

愛なんてそこじゃなくて生きてるだけじゃ足りなくて

車検

王子さんの会社形態が変わり車検のお知らせのハガキ内容が変わった。前回は外車専門店で済ませた。専門店はわたくしが寝ていても社長が玄関を開け鍵を持ち出してくれるので便利。今回は特に大きな修理は無いであろう、王子さんが勤める会社で車検をした。これも便利で王子さんが持って行ってくれる。検査の結果は異常無し。社長の会社で部品交換をし劣化のあるプラスチック類も交換してあるのを王子さんは知らなかったのだが社長のお任せでしてくれる。そしてわたくしが持ち込んだ場合は別の珍しい外車の代車を貸してくれる。左ハンドルも右ハンドルも大きさも乗りこなせているので実に面白い代車に社長は乗せてくれる。ただ困るのがライトやワイパーが分かりづらいが基本、雨の日は車が汚れるから乗らないのと夕方には帰りたいのであまり困らない。行きつけのショップの常連さん達も、りんちゃん来ないねぇ。するとスタッフが、りんちゃん、雨が降る日は来ないですよ、車が汚れるから。笑。そんなわたくしの愛車は一本ワイパーがかっこ良く以前にも書いたがウォッシャー液が温まって出るのだ。これは凄いシステムだと思う。今年も運転出来ずに終わると思うので車庫に入れて置いて貰った。車庫には乗らないわたくしの車が二台。国産車の方はRB20エンジンで製産が終了している。免許を取った当時アルミに30万もかけショックやダウンサス、ステアリングにウーハーとかなりお金をかけたのだが今売ると30万ぐらいにしかならない。それにシュティッヒのディッシュのアルミは4穴なので需要も無い。外車の方は10万キロごとに表彰をされるのを知らない人が意外に多い。並行輸入とか色々とあるからね。なのでディーラーも受け付けないケースも多い。何でこんなにも車が好きなんだろう。りんちゃんは誰が彼氏か分からないと言われるが車が彼氏とも言われるぐらい車が好きである。

よだつ話の考察

今日、書いた日記の廃校になった小さな小学校を検索した。見る限り日中の画像でもあまり印象は良くない。(私見である)小学校は明治40年創立、昭和49年3月、67年の歴史に幕を閉じ閉校時の児童数は6名。とあった。画像からこの印象が良くなく感じるのはわたくしが通っていた小学校の横に古い木造の体育館の様な建物があり立ち入り禁止の曰く付きであったので脳内で紐付けされそう感じてしまうのかもしれない。この廃校になった小学校は山奥であり民家すら無い場所で近くのとある御神木の下でティッシュで作られた無数の十字架を並べ男女が自殺をしていたり橋の下で首吊り自殺があったりと樹海的な雰囲気があるのは確かである。そもそも峠下なので川釣りの方が稀に通るぐらいである。迷い込めば発見までにかなりな月日や年数を要するであろう。因みに樹海で迷うのは鬱蒼とした密林状態に太陽光の位置が分かり難いのと真っ直ぐに歩いているつもりでも利き足に力が入るので利き足が右足なら自ずと力が入り左回りになる。なので入り口に戻る事や入り口付近をずっと奥だと勘違いする事もある。左回りでいえばスケートリンクもそうであるが子どもの頃、混雑をするスケート場を逆走していた記憶があるのでやはりここでもわたくしの左利き説が浮上する。今日、書いた少女は遠方から来ていたはずなのに何故、廃校になった小学校を目指していたのか。転校の予定があったのかは不明にしても紅白帽を探し彷徨っていたのだから運動会を心待ちにしていたのではないかと。事故に遭い家族の中で一人だけ車外へ逸脱、その先の雑木林へ。考えると雑木林の先には沢があり川がある。そこに紅白帽が流れてしまっているのではないかと。もしくは車内に残されていたのかもしれない。何れにせよ不気味に笑った女性は紛れもなく少女の母親であり少女がSさん達を引っ張って来たのは間違いない。わたくしが通っていた小学校に紅白帽は無く学年によるが紺色と黄色だった。転校をしてから初めて紅白帽になりその時に紅白帽という言葉を知った。なので少女が探し言った、紅白帽が無い。

この言葉に凄くパンチが利いた。

身の毛もよだつ話

帰宅後、王子さんが言った。りんのすけぇ、二十年ぐらい前に峠のコンビニがあった場所で事故があったの覚えていない?ワゴン車で一家が死亡したの。記憶にない。王子さんの勤める会社の系列会社のSさんが次の日の深夜そこを通ったら少女が居たと。慌てて車を停め、おーい!こんな時間に何してる?!と聞くと、紅白帽が無い。と言う。とりあえず車に乗せ、紅白帽なんて買ってもらえばいい、こんな時間に、どこに行けばいい?と聞くと、近くの廃校になった場所だと言う。車中Sさんと奥様と会話をしていた少女。校舎に着くと電気が点いており校舎前にはテーブルを囲み五人ぐらい座っていたと言うがヘッドライトに照らされても見向きも微動だにもしなかったと言う。少女を降ろした後、Sさんの横に気配を感じ見てみると、不気味に笑う女の顔があったと。怖くなり急いでその場を立ち去り時計を見ると時刻は深夜、三時三分。不審に思ったSさんの奥様が新聞を見るとSさん達が通った前日そこで死亡事故があり少女だけが車外へ、その時刻、三時三分。と記載されていたと言う。わたくしは聞いて鳥肌が立った。Sさんはこの辺りの出身ではないがSさんの奥様が王子さんの一個上の先輩であり仲が良くなった。作り話をする様な人ではない。わたくしは今までに心霊体験はあるものの物体として会話をしたというのは周囲に居らず初めて聞いた話である。その後Sさん達、何でもなかったの?と聞くとSさんが数年後、少女を乗せた場所で仕事で深夜トラックを運転中に居眠り運転でひっくり返ったと。後続車の方が目の当たりにし絶対、死んだと思ったら顔面血塗れのSさんが雑木林から出て来て恐怖だったと。それを聞いてふと、思い出した。二十年前のその頃、わたくしと友人で夜、スケボーをしに行きその雑木林に落ちているのである。今思えば何故そこに行ったのかも不明だし廃校になった校舎にも行った。日中は映画祭が行われ夜にライヴがあったので初めて行ったのだ。完全に何かに呼ばれていた事になる。辺りは街灯も無く真っ暗で半ば迷いながらも到着しライヴは良かったものの校舎の外は不気味なのである。焚き火を囲み民族衣装を纏った人がチルアウトをしとにかく異様な空間であった。今でいうグランピングの様な明るさとはまるで異なる。この様な現象がまかり通るのなら何処にも行けない話になるのだがわたくしはどうも引き寄せられる。二十年以上も経ちそんな話を聞いたわたくしは、本当に少女の紅白帽が見付かっていないのではないかと思った。

花火大会

昨夜は花火大会であった。身体の痛みが強く音の振動が身体に響くので嫌だなぁ、と思いつつサンルームに出ると若干、道路が濡れていた。中止にならないかな…昨年も雨の中の花火だったので予定通り開催。王子さんは残業であったので一人横臥をしながら見つつもテレビで天心選手のボクシングが気になりそちらを。なので今年は前半とラストしか見ていない。その後22時、王子さんが帰宅をし録画をしてあったパーキンソン病の番組を観た。パーキンソン病ドパミンの減少で起こると。しかしながらわたくしの様な断薬によるパーキン症状はアセチルコリンが増しての症状である。観ながら王子さんとも発症の原因前に何かしらの服薬や副反応なのではないか?と。そこから王子さんに糖質についての解説を。鬱病やパニック症は糖質制限で回復するというもの。腸内が重要になるのと鬱病の薬では治らない新型鬱病、謂わば適応障害糖質制限で治るという話等。しかしながらわたくしの鬱病の友人達は特に甘党ではないのも事実でどちらかと言えば睡眠不足や圧力によるストレスから燃え尽きである。そんな今年の花火大会後、糖質脂質についての夜の会話であった。

お盆に読んだ本

コンビニに行った際、購入した本。事件に関する雑誌に興味を惹かれる。開いてみるとほぼ知っている事件、並びにそれらの書物を持っているので買わなくても良かったと思った。未解決事件に関しても現段階で新たな情報も無く例えば複数犯が今になり単独犯説と曖昧模糊である。いつも思うのは昭和の未解決事件ならば犯人はもう存命していないのではないかと。平成の事件ならばここ二十年、DNA鑑定に精査しているので解決しそうなものだが謂わば管轄や州を跨ぐと捜査に支障が出るのも然り。ある事件では捜査犬を導入するも急な林道で捜査犬が乗り物酔いをし判断が怠ると聞いた事がある。もしくは県によっては資金不足により捜査にミスリードが生じると。身内に警察官が居るのであまりディスりたくはないが。

革命家の本は名言集で誰もが耳にした事があるお言葉集で特に響くものが無いので読みながら超訳の解釈をした。大抵、名言集は相反する意味合いがあるもので哲学脳のわたくしは解説を読んでも、これ、逆説的ならこうじゃね?といった具合である。人に問うた言葉でも実際は自らの生い立ちを言っただけのそうでもないお言葉に人はただただ共感しただけの浅い作りがある。多分、言葉を知らない人々が手放しで感動をするストーリーだと思う。もっと突き詰めた言葉が欲しいというのが吾が輩の感想である。ただジャックラカンの様な爺さんクラスになると何を言っているのか判らずせめてニーチェだよと言いたい。今ふと、4コマ漫画って何で4コマ何だろうと思いつつ晩ごはん何にしよ。なんて思っているお盆明けの猛暑。

大雨

庭が池みたくなる程の大雨。叔父さんが来ているのだが峠が土砂災害で通行止め。帰られなくなってしまった。拙宅裏の川の増水は心配ないと言うが災害時の増水を目の当たりにしているのでどこかこう、落ち着かない。祖母がお嫁に来た年に大水に遭いその時に橋を高くしたのだが災害時その橋の下まで増水し異様な光景だったのだ。山も川にも囲まれており近くの避難所が孤立した経験から絶対に家に居ると決めている。画像は2016年、橋の通行止めが解除された時のもの。この橋の真下まで増水し夜に通った時、真っ黒に時折光る川が直ぐ真下まで迫っていた恐怖があった。床上浸水、家が流された方、遠戚の遺体は今も行方不明のままである。

親戚

昨日、王子さんが町内にあるご両親のお墓参りに行った。夕方遅く紙袋を持って帰宅し、市内にある叔母さん宅にも行って来たと言う。りんのすけぇ、衝撃の事実があるよ、叔父さん亡くなってた。えぇっ!?いつ!?去年だって、誰にも言っていないんだって。以前から体調を崩していたのだがまさかである。そしてもう一軒の親戚の家にも久し振りに顔を出すと今度はそこの叔父さんが入退院を繰り返していると言う。聞けば輸血をすると身体が楽になるが動けない日もあるというのに仕事に行っていると。わたくしが昨年、部屋の中が線香臭く王子さんに、叔父さん達、元気だろうか…何か変な感じがするんだよね。と言ったまさしくその時期に一人の叔父さんが亡くなっていた。叔母さんはケロッとしたご様子で元気だったと。帰りに育てたピーマンと胡瓜とささげ豆を頂いたので王子さんはあまり好きではないが煮豆と酢の物を作ったら夜はバーベに行くと言う。むむむ。持たせても皆で食べる量ではない。早く言いなさいよだよね。笑。わたくしは今年もお留守番です。