lynnosukeのブログ

愛なんてそこじゃなくて生きてるだけじゃ足りなくて

断薬七年五ヶ月

SSRIで悪名名高いパキシルの断薬に未だに苦しんでいる。全身不随意の激しい痛み、痺れ、寒気、痛痒い。顔面と瞼の腫れ骨の痛み。細かく書けばきりがない。睡眠時、脳内爆発音症候群があるのだが今年に至っては爆発音ではなく爆音で旋律が流れる。脳の神経細胞と受容体の回復が遅く頭が悪いのではないのかと思う時がある。左後頭部の激しい頭痛に言葉が出て来ず記憶も曖昧に。このままボケてしまうのだろうかと最期の時ばかりが頭を過ぎる。兄弟も居らず結婚もしていない。頼みの綱は王子さんだけであるが八日深夜、王子さんが突然の痛風発作に見舞われた。四年ぶりである。夜、居間で寝て深夜にお布団に行く。その時であった。いきなり来た!と言い歩けないのである。急いで服薬をさせ湿布。あまりの痛みに王子さんは涙目であった。そのわたくしですら左足は左右に右足は前後に不随意をしているので急ぎ足というのが危ない挙げ句、足裏もビリビリとしているので深夜に考えていた。わたくしが居らんかったら王子さんも生きられないのではと。これは常日頃、思っているが歩けないというのは要介護である。痛風の食事には気を遣っているが会社での仕出しのお弁当が悪いのである。お肉や揚げ物、イカづくしにエビフライとプリン体ばかり。食べない選択肢もあるよ?と言っていた矢先の出来事である。系列会社の方は仕出しのお弁当で十キロも太り自らお弁当を持参し専務は家で食事を摂る様になった。本来であれば王子さんも持参をするか選ぶべき所。流石にお弁当は断った。休日の呑みの時のお肉は茹でこぼし水洗いをしてから焼く。わたくしが又お弁当を作り始めても良いが手の震えや身体が引っ張られ立っているのがしんどいと思う様に行かないのである。年末は穏やかに過ごしたいね、オードブルやお寿司なんて食べられるのだろうか。来年はどんな年になるのであろうか。百歩譲って震えても良いから痛みだけ何とかなりたい。と叔父さんに言い、野菜を切って干したり糠床や塩麹を作ったりしている、それだけしか出来ひん。と、言うと一言、十分だよ。と言われた。その言葉に少し救われました。って!何か暗いわ!