lynnosukeのブログ

愛なんてそこじゃなくて生きてるだけじゃ足りなくて

断薬八年五ヶ月

目覚めると、今日も生きていると思う。と同時に全身の痛みが始まる。季節柄、届く喪中ハガキに気が滅入り法要へ出向く王子さんの準備を考える。先月はテレビの不具合にメーカーさんと電気屋さんが六度の来訪。それは良しとし大変であったのは不具合が出るまでテレビを点けたままにしておく必要が有り光が眩しいわたくしには拷問で一ヶ月もその様な環境。更にはメーカー支店本店、購入店からの着信。パニック全盛期の頃であれば着信や不在着信だけでも発作が起きていたのだが着信や来訪の待ち時間に発作が起こる事は無かったのだが常日頃、心臓の苦しさや痛みは有るのでメーカーさんが居る時にも少し横にならせてもらった。座っているのも痛みで苦しいのだ。そんな中、友人のメッセージや電話に思う事が有ったのも事実で振り回されたと言えばそうなのだがそこまでも親身になったとも思えない。俯瞰で見ていたのだ。そうしないと気が狂うと思った。あれ程、手の震えが強いと文字が打てないと言っているのに。別の友人や王子さんにその事を聞いてもらった。普段のわたくしならばあまり人に相談はしないのだが痛みで思考が低下しているのだ。結論は出ており価値基準が変らない友人とはソリが合わないのである。一から十以上も説明を求める姿勢にわたくしは、おんぶにだっこやで、五十近くにもなる人間が。と言った。これが結論である。会っていない十七年間、何も変わらないどころか性格が歪曲し同級生である王子さんですら、結局は自分の事しか考えていないんだ。と否定的であった。言い得て妙だと思った。総ては自己満足でしかないのである。それこそ何年も会話をしていないわたくしの友人と話しをしてもその様な事は無く変わらないというよりも日々進化しているのだと思う。わたくしの友人はほぼそういう人間なのだ。この人と合わないと感じた時がシグナルなのである。以前から違和感は有ったのだが顕著となり来年は良い年になればと思いつつ年々増す痛みにフォーカスする生活がいつまで続くのかと毎日毎日、思っている。そして、チバユウスケさんが亡くなった。