lynnosukeのブログ

愛なんてそこじゃなくて生きてるだけじゃ足りなくて

お宿は、りんのすけ。

15年前までは毎夜、友人達が呑みに来ていた。近くの町内なのだがいつしか泊まる様になっていった。拙宅で夕食をしその後から呑みや夜勤の友人は食後に出勤、短時間の夜勤の時には又、拙宅へ戻る。車を置いて帰った友人の車でわたくしが通勤をし仕事終わりに友人が会社まで迎えに来、送ってもらう。そして又、夜は呑み。仕事を辞めた友人は拙宅でお昼過ぎに起き少しの家事をしわたくしを迎えに来る。なので常に誰かが部屋に居た。拙宅が狭くなる理由に友人達の持ち物がある。個別の灰皿やグラスに毛布やタオルケット。お箸も決まっておりわたくしが夕食の用意をしていると、それ!俺の箸!あっ!ほんとだ!これ!俺の灰皿!それ!俺のグラスだぞ!と、賑やかで寝起きにはそれぞれが毛布やタオルケットをたたみプラスチックバッグのネームタグを見ながらしまい出勤をするまるで寮生活というのか自主性に優れた生活を送っていた。その毛布類が未だに拙宅で幅を利かせている。寝具は持ち込みなのだがグラスは一緒に買いに出かけわたくしの趣味の中から選んでもらいわたくしがお箸をチョイスした。いかつい男が可愛らしいお箸を持ちあれが食べたいこれが食べたいと大忙し。わしは寮母か。昨夜、入院中の友人達の1人のお誕生日であったので友人と電話をした。毛布とかどうする?置いといていいよ。結婚をし家庭があるのだがいつか又、一緒に呑も?と、言った。本当は先月、久しぶりに電話で話しをした時に、俺、りんちゃんの事、好きだったからさ、心配になって電話した。と、言われたのが引っかかっていた。当時、言われた事があるので分かってはいたのだがその時はメールであったので声で好きだったからさ。と、言われお互いの気楽な距離感は変わらず親身になってくれるのだと再認識をした。わたくしが熱を出せば大雪の中お見舞いに来てくれた。家族や兄弟というものが知らないわたくしの家族的な存在。それが友人達。f:id:lynnosuke:20200303155034j:plainf:id:lynnosuke:20200221160831j:plain