lynnosukeのブログ

愛なんてそこじゃなくて生きてるだけじゃ足りなくて

白昼夢

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エニアグラムをもっても解らない。祖母の死をきっかけの犯行だとしても果たして残虐行為に加担するのであろうか。残虐行為の際に性衝動が起こったのはその種の快楽殺人者という人間が存在するが犯行時の年齢からして欲求というもののバランスが未分化で数年間の矯正で果たしてという疑問が残る。脳に異常はなく直観像素質者であればずっと記憶にある映像がフラッシュバックし苦しむのではないか。本人著書の書籍を読むとどこか市橋容疑者に似ている部分がありエネルギーの爆発、無思慮が表裏一体となり超越した何かを感じるのだが難解である。食事には興味があまりないと書かれていた。脳の栄養不足とも言える。空腹ならば性欲は増す。食欲と性欲の中枢はとても近い器官だがどうも理解し難い。内向的な性格が劇場型に展開される事はあるがそこには必ず抑圧や孤独がある。犯行声明文にある自らのアイコンである記号を見た時に破壊と創造の神シヴァを思い出した。空想の神や登場人物が存在意義であった。折しもこの時代、震災や地下鉄サリン事件がありヒンドゥー教やヨガ等の信仰や新興が増えており犯罪を犯した彼はキリスト教徒だそうだ。バブル後の異様なエネルギーであったのは記憶にある。衝動的且つ煽動的な。御両親の手記も読んだが御両親ですら解らないのである。それを俯瞰で見たが何かが引っ掛かる。その何かが解れば犯罪は起こらないのだが。解離性人格であれば他人格が形成されている場合、その時の記憶はないのだが緻密に記憶があるのならばやはり直観像素質によるものなのであろうか。造形物や絵画が得意で子どもの頃に頭を強打し縫う経験をしているそうだ。これには符合した。美大生の大半が子どもの頃に頭を強打している経緯があるのだ。わたくしもそうなのだが創造性の強い人間はどこかズレている部分がある。得意不得意とのベクトルではなく虚構や夢遊感覚的な。最近、様々な事件の犯罪者や被害者、死刑囚の書籍を読んでみた、三十冊ぐらい。共通項は幼稚さが未発達のままや家庭環境の愛情問題の荷担と閉塞感を感じた。しかしながら誰にでも当てはまるのである。成長力の昇華の方向転換。凄く考える犯罪であるがヒトラーに刺激を受けダリの絵画を好み何が彼の宗教学だったのか。旧約聖書新約聖書を拝読しているとすればそこに十戒のフィルターを透しているはずでこれが親鸞であれば慈愛に満ちた輪廻転生という生きる表現があったのではないのか。わたくし自身、三年ぐらい物語を書いていないと思う。お気に入りはタイトル 水中花や落日だったであろうか。犯罪者の手記にわたくし自身と似た情景の描写があり頁の眼前で時間が止まった。なので言葉の筆圧が戻らないので読んだ描写の見解の何が言いたいのかは伝わらないと思うが犯罪者が少年法の場面からは現在は日常がある。被害者遺族の日常もある。逆撫では出来ない。