lynnosukeのブログ

愛なんてそこじゃなくて生きてるだけじゃ足りなくて

搾取

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この事件についてずっと気になっており書籍を探していた事があったのだがコロナ禍の影響から裁判に遅れもありながら新刊があった。読み始めると煽動的なパフォーマンスはないが松永 太に似ていると思ったら著者が書いた連続殺人犯という書物を著者が差し入れをし読んだ犯人自身、松永に近いと仰っていた節がある。読んでいても残虐性を抑えているからか核心が解らないのである。我が儘というのか我慢が出来ない幼稚さを感じながらも読み進めると後半、母親が子どもの頃に甘やかしたのが原因なのかもとしれないと触れているが家族関係が稀有に見えてこないのである。金銭や強姦目的なのだが報道規制に臓器売買の背景があるとも言われていた事件でもある。少年Aの時と同じ異常な性欲なのは知ってはいたのだが宅間 守が放った、死刑でいいです。そんな人の尊厳の無さをも感じた。精神鑑定によると知能指数は平均よりも上とし能力として持っている観察能力は長けているが知識に関する得点がかなり低かったのは発達障害があるからではなく、高卒だから。勉強をしていないので知識は低い。トータルしてみると全体を見通したり状況を見通す能力は高い。記憶についてもパズルは出来るが動作が緩慢だった。精神障害を疑わせるものはありません。と、書かれており疑問符でしかないのである。ネクロフィリアが障害ではないと言っているのであればどこに符号化をすれば良いのか。確かに著名な作家の作品にネクロフィリアは多数あるが現実の犯行を文学と呼べるはずもなく被害者がいるので裁かれるわけで。読んでいると温厚さと狂喜の二面性がありますます解らなくなった。希死念慮がある被害者に当たる方を選び用意周到さもあり快楽殺人そのものでこういった殺人事件はある国であるのだが読む限りまるで解らないのである。動機に発展をし相次いで犯行に及ぶというのが。それ程までに強い快楽が刷り込まれたとしてもインターネット上で被害者とやり取りをし行方不明者が見つからないというのはどういった状況なのかと首を傾げた。被害者の中には引きこもりで一定の人物としか会話が出来ない方も居た。それですらインターネット上で首吊り師の刃に会いに行くというリスク。同時に第44回 テレビドラマ大賞 星とレモンの部屋を観た。人の暴露や露呈、欺瞞の末路を読んで二日間、人間とは何故、存在するのであろうか。これは進化論の話になるので書かないが。